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雪に弱い東京 [身辺雑記]

東京に雪がふってもう何日もたつのに、道路のはしに雪のカケラが積み上がっていたり、路面が朝晩凍結していたりして、まだ何か危なっかしい。

都心だと積雪量はせいぜいが10センチぐらいだったワケで、北の方にいけばもう「雪が降った」という範疇にも入らないレベル。彼らの日常はこの程度の雪ではまったく何の変化もないわけである。逆にいえば、この東京というのは、この程度の環境の変化にも対応できない脆弱な都市なのだ。

確かに、経済のことなど考えても「この人工的環境が保たれる」という前提がある限り、都市というのはすこぶる効率が良い世界なのだろう。

しかし。我が世を謳歌した恐竜が絶滅したのは環境の変化に適応できなかったからだ、というのは有名な話。初期条件がガラッと変わったらどうなるのか。震災のことを想定するまでもなく、実はこの都市というのはきわめて危ういバランスの上に、つかのま成り立っている世界であるらしい。
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身の丈にあわないことをすることの哀しさ [身辺雑記]

われわれ日本人というのはアジェンダセッティングというのが非常に苦手で、明治以降を振り返ってみると、なんつーか、こう「西洋先進諸国」のあとを金魚のフンのようにくっついて回っている分にはソコソコ達成というものがあったわけだが、古くはかの文豪夏目漱石が「現代日本の開化」で喝破していたように、それは全然「内発的」なものではなくて、畢竟「現代日本の開化は皮相上滑りの開化である」「涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならない」のが近代以降の日本人の宿命なのである。

で、そういう流れは実は今になっても全然変わっていないのだなあと思う。

ここんとこ「日本人も世界のグローバル化に対応しなけりゃいかん」という話になっていて、つまりそれは皮相なレベルでいえば「ちゃんと自己主張する」「言うべきことは言う」=グローバル経済で生き残り可能、みたいなジョーシキとして流布している。

そういう流れの中で例えば「就活」という問題なんかを考えてみると、昨今の学生サンは「オレはこんなことができます、エライでしょ」「オレを雇うとこんなメリットがありますよ」という自己宣伝をさんざっぱらしないといけないらしい。世界標準からいってもそれが当たり前なんだから、とかいって。

バカらしい。

今月の「中央公論」で、最近就活小説を書いたことで話題になってる朝井リョウが言ってることを読んでナルホドと思ったのだが、かみ砕いていうと、われわれ日本人の文化の中にあっては「オレはこんなに有能です」みたいなことをシラフで語れる人間というのは、端的にいって「バカ」である。

本来オレたちの文化の中にあっては、そういうことを言うヤツは非常識で傲慢で鼻持ちならないヤツで、つまり基本的に相手にされない。にもかかわらず、企業の採用担当者なんかも、ハラん中では「だいたいオレ等の会社ン中だって、オレがオレが、みたいなヤツばっかいたらたまらんぞ。アホらしいよなー」と思いつつ、就活学生のイヤイヤながらの自己宣伝を感心した風に聴いていなければならないのである。

つまり、漱石のいうように、今になっても全然自分で信じていないモノサシに従って、こういう就活とかいうバカバカしいお芝居をみんなでしているのだった。いや、実際30年ぐらい前の、オレが「シューカツ」していた時からそういうバカバカしさっつーのはあったけれども、最近の学生さんたちは、もっともっと露骨な自己宣伝ゲームをやらなきゃいけないようなのでホント可哀想だ。

まぁ、そうはいってもそういう自己宣伝ゲームに連戦連敗で、内定とれない→オレってダメなんじゃないのか、みたいに落ち込む若者も多いだろうから言っておくんだが(我ながら偉そうだナw)、今の時代に夏目漱石が生きてたら「ケッ、いつまで猿芝居やってんだオマエラ」って嘆息するぞ。いやむしろバカ笑いするか。

「皮相上滑りの開化」に心の底からつきあう必要なんてないぜ。なんせこっちには漱石先生がついているんだから(笑)。




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レガシィか? ゴルフか? [身辺雑記]

オレはレガシィツーリングワゴンの2002年式に乗っているわけだが、まぁサンデードライバーのため、まだ5万キロも走っていないわけで、しかしそれでも何となく相応のヤレも見えてきたこともある。突然死もイヤなので車の買い換えを考えているのだった。で、また備忘録代わりのチラ裏。

とりあえずの候補は現行レガシィツーリングワゴン2.5iアイサイトと、ゴルフVIコンフォートラインマイスターエディション。ひょっとしたらマークXでもいいかなぁ、といったところ。基本的に望むこととしては、「長距離走っても疲れない」「静粛性」「取り回しの良さ」「そこそこの質感」「そこそこの居住性」「そこそこの安全性」「でもトヨタ的80点主義はイヤ」といったあたりで、イメージ的には「小さな高級車」的なモノ。端的にいえば今乗ってるレガシィ程度の性能で十分なのである。

が、前にもちょっとブログに書いたのだが、最近の車はドンドン肥大化しておって、横幅1.7メートルにおさまる「5ナンバー」車では、「質感」を感じさせるような車は絶滅してしまった。このショボい日本の道路事情では、やはり5ナンバーぐらいの車がベストだと思うのだが。

ということで、そこそこ質感があって、そこそこ静かで、みたいな基準でいくと、やはり横幅1.7メートル超は覚悟しなければいけないのだ、と悟る。この条件は泣く泣く呑むことにした。そうしてとりあえず候補として考えたのがレガシィとゴルフなのだった。
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さて、今のレガシィである。ずいぶん大きくなってしまって、回転半径も確か5.5メートルと取り回しはかなり悪い。安全設備のアイサイトは実に魅力的だし、スバルのAWDはやっぱり信頼性が高いのである。が、内装はコストダウンのせいかひところよりずいぶん安っぽくなってしまったというのがもっぱらの評。エクステリアも最近のは実に野暮ったい。「そこそこ静かで、かなり広い」というのは評価すべきところだが。

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そこでゴルフ。横幅はレガシィと同じぐらいだが、前後長はたしかレガシィワゴンより50センチぐらい短い。回転半径も5.0メートルぐらいなので、狭い道路のすれ違いというシーンでは大差ないにしても、一般的な取り回しでは明らかにレガシィを凌駕する。内装は地味ながら質感はそこそこ高いようだ。シートの評判もまずまず。外観も、けれん味はないがオレの感性からいうと上品である。荷室容量はレガシィ比で3分の2ぐらいだし、シート周りの絶対的な広さでも劣る。が、外寸を考えればそこそこ頑張ってスペースを確保しているという声が多い。国産車にくらべると故障が多くて、ときに多大な出費を強いられるとも聞くが、10万ぐらいで5年間の修理保証サービスもあるので、これに加入すればレガシィ2.5iアイサイトの車両本体価格とトントン。けっこういいライバルではないかと思ったりする。実際、こないだ寄ったゴルフのディーラーでも「レガシィから乗り換える人もけっこういるんですよ」とか言っていたな。

故障は多いが独特のキャラがある、というのが外車の持ち味(?)であるらしい。死ぬ前に一回外車に乗ってみてもいいのかな、というわけで、ここんとこゴルフにやや気持ちが傾きつつある。

ただなぁ、ネットでいろいろ検索していると「ゴルフ? 日本じゃ高いけど、外国じゃあ価格帯的にいってもカローラやアクセラがライバルだよ? 貧弱貧弱~(笑)。質感だってしょせんそのあたりと同等なんだよ」とかいって批判している人がけっこう多いのである。

でも、レガシィとゴルフを乗り比べてみて、「やっぱりゴルフのほうが感じいいよねー」みたいなことを書いている人も多い。いったいどっちなんだ? オレはレガシィの前にインプレッサに乗ってたので、明らかに静粛性とか快適性ではインプレッサ<レガシィだと確信していて、カローラ=アクセラ=インプレッサ<<<(超えられない壁)<<<レガシィ、という図式を描いている。するとゴルフはどの辺に位置しているんだ?

こないだ短時間だけど試乗したときの印象だけだが、内装のシッカリ感、走りの重厚さ、静粛性といったあたり、いくらなんでもカローラ、インプレッサレベルじゃねえだろう、と今のオレは思っている。その意味では「ゴルフ≒カローラ」説にはどうしても首をひねってしまう。あるいは、オレも含めて非常に多くの日本人はいまだに「舶来信仰」にとらわれていて、内装やら何やら、全然良くないのに「ドイツ車だから」といって集団幻想にとらわれているとでもいうのだろうか?

ま、その辺は措くとして、少なくとも「外国ではゴルフとカローラは価格帯的にいってもある意味ライバル」ということであるのなら、そこんとこはどう理解すればいいのか。

オレの暫定的な仮説によると、ゴルフは車の基本的な「つくり」みたいなベース部分は実に優秀なんだが、日本車なんかと比べるとあまりにも故障が多いので、質的には安っぽいカローラ、アクセラと総合的にはイイ勝負、ということにされてしまってるんではないか? 「実際に乗ったら質感でもカローラと五十歩百歩のショボさ」という説は、なんか必要以上にゴルフを否定しようという(たとえば故障で泣かされたのでネガティブな感情がわき出てしまった末の?)誇張が入っているような気もする。

ひょっとすると、一流選手の素質を秘めてるんだが、しょっちゅう故障しているんでどうしてもエース級とは認められない投手、みたいな感じなのかなあ?(最近の松坂みたいなw) しかし、これも以前ブログに書いた記憶があるんだが、かつてトヨタが出してた「プログレ」みたいな、「5ナンバーなんだが高級車」「小さな高級車」みたいなコンセプトの車は、今の日本からは消えている。コンパクトだけど質感アリ、みたいなゾーンになんかないかなぁとあたりを見回すと、おっと外国車だったらゴルフがあるじゃん、そういうノリでゴルフは日本人に受け入れられているのではないか?

日本にあってはそういうゾーンで競合する車は無い。だからこそ希少価値も出てくる。ちょっとぐらい割高でもいいヨということになって、つまり国内にあっては「カローラ? そんなのと一緒にするなYO」という話になっているんではないか。たしかに「小さな高級車」を日本のメーカーが出してくれていたら、オレもゴルフになんかに目がいかなかったのかもしれないのである。

閑話休題。ともあれ近いうちにどうするか決めねばなるまいが、それにしても、である。震災もあったし日本企業を応援すべく国産車を買ってやろうという気持ちはアリアリなんだが、最有力のレガシィにしてもオレ的基準からいうとだんだん劣化していってるワケで、このあたりは何とも悲しい。日本のマーケットがシュリンクする→外国人受けする方向にシフト→日本人シラケる→マーケットシュリンク、みたいな悪循環が発生しているような気がしてならないのである。

【追記】

あるいは、そういう「小さな高級車」志向というか、まぁダウンサイジングしてもガッカリ感は味わいたくないよなーという人たちのためにプリウスとかがある、という主張もないではない。安いんだけど、アメリカのハイソな人たちが「やっぱ時代はエコだから。プリウスいいじゃん」とか言って買っているという話もよく聞くし。ただまぁ、確かに静粛性とか燃費とかは見るべきものがあるとしても、内装とかが、あまりにもプラスチッキーで貧乏臭いのがどうしても許せんのである。金はかけてなくても貧乏くさくみせない工夫っつーか、そういうのはトヨタは苦手であるらしい。






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江分利満氏の優雅な生活 [身辺雑記]

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直木賞をとった山口瞳の同名の小説をベースに岡本喜八がつくった映画をCSでやっていたので観た。1963年の東宝作品。傑作であった。

まずもって、小林桂樹がよい。

1960年代のオレらの世代にすると、ひょうひょうとした味わいのオッサンないしは爺さんという印象の強かった小林桂樹だが、作中ではまだ30歳なかば(実年齢では40ぐらいだったようだが)。酒が入ればなんとも厄介で話のクドイおやじなんだが、しかし、例えば「青春時代を台無しにしてくれた戦争のバカヤロウ」みたいな鬱屈を実は内面に抱えていたりして、単なる脳天気なオヤジというわけでもない。どうということのない平凡な人間にだって、いろいろ悩みはあるんだよ頑張ってんだよコノヤローみたいな風情を実にうまく演じている。もちろんこの辺は、さすが「肉弾」あたりで独特の反戦論を訴えた岡本喜八の作品、という褒め方もできるわけだが。

で、共演陣もなかなかにヨロシイ。妻役の新珠三千代なんていうのは、やはりオレらの世代からみると、美人ではあるんだがちょっとお高くとまった、冷たいオバサンみたいなイメージがあったわけだが、本作ではなかなか庶民的な可愛らしい奥様である。主人公の父親役の東野英治郎 は、元実業家ながら零落してしまった、放蕩癖の抜けない困ったジジイなんであるが、そのあたりの小憎らしいところを好演している(しかしはたから見れば結構憎めないいキャラにみせるあたりがウマイ! こういうイヤらしいジジイを得意にしていた彼が、のちに水戸黄門を当たり役にするとは当時誰も思わなかったろう、などと考えてみるのも、半世紀前の映画をみる楽しみである)。で、二瓶正也とか桜井浩子といったウルトラマンファミリーも脇役で出ていて、ニヤリとしたりね。

しかし、とここで思うのだが、山口瞳といえば、その家族に秘められた暗い歴史を「血族」で剔抉した人物であり、ついでにいうなら、本作にも息子として登場する山口正介氏などはこのたび「江分利満家の崩壊」とかいう本を出して、山口家は実はしっちゃかめっちゃかの大変な家族であったことを明かしている(らしい。っつーか、オレ、実は「血族」も「江分利満家の崩壊」も全然読んでませんからw)。

となりますと、この作中のホンワカした家庭の描写だって、じつは小綺麗にまとめたウソっぽいお話だったのかもしれないわけで、うむ、なかなか人生ってーのは格好良く終われねーなという別種の感慨を味わうことも可能であるようだ。いやー、映画というのは、あらまほしき自画像に酔うための「自惚れ鏡」であると喝破した評論家もいましたが、なるほどその通りなのである。いやー映画って本当にいいものですね(笑)。


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日本語の乱れを憂う(笑) [身辺雑記]

というわけで、「最近の連中の言葉の使い方はなっとらん!」とか言い出すのは、もうその人間が化石化していることのアカシであるというのが俺の持論である。「情けは人のためならず」とゆー言葉があるが、大多数が「人に情けをかけて甘やかすのは良くないことだ」という風に理解しているのであれば、それで問題なし、ぜんぜんOKなのである。何でも「これキマリだから」といって杓子定規なことを言うのは官僚たちに任せておけばよろしい(ちなみに、「ぜんぜん」ときたら後ろは「ダメ」とか「できなかった」とか、とにかく否定的な言葉でシメなければならない、というのが伝統的な決まり事なのだが、それを否定せんがためにここでは敢えてそれに反する言い回しを用いているのでアル)。

閑話休題。しかし、そうはいっても俺も最早ジジイの世界に入りつつある身なので、なんとなく日頃からヘンだなーと思っている言葉について語ってみたい。もちろん上に書いたような事情もあるので、「このジジーなにウルセーこといってんだよ」と罵っていただいて構わんぞ。ま、つまりブログに書くことがなかったので持ち出したヒマネタに過ぎないので。

前振りが長くなった。けっきょく何なのかというと、問題は「住所」という言葉である。文字通り「住む所」である。であるんだが、どうも最近では会社とか役所だとか、つまり誰も住んでないトコロについても平気で「住所」とか言ってるんでないか。「××物産の住所は北区中通1-1-3だ」みたいに。

ここはやはり「所在地」というべきであろう。「法人も法的にはヒトなので、その場所に住んでいるンである」などと屁理屈を言わないように(笑)。

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新Kindle 届く [身辺雑記]

ということで、もう本日は日本中のブログにKindle paper whiteが届いたよ~という記述が溢れかえっていると思うのだが、いちおう小生も備忘録というか、記録に留めておこう。

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小生が買ったのは3Gでも通信ができる、高いほうのやつ。合成革?のカバーも買った。これは右側が底の浅い弁当箱状になっていて、そこに本体をはめこむ仕組みである。ぴったりフィットして、なかなか感じが良いが、ただちょっと手にした時に重い。この辺は好きずきであろう。

で、肝心の本体であるが、まえアメリカ版を買っているので、あんまり感動とかはないんだが、今度のはライトが内蔵されているというのがウリのようで、適宜調整できる。光度を上げると、なんか画面下側がライト漏れみたいなかんじで若干まだら状になるのが気に入らんが、ま、周囲が明るい時以外は光度も下げておけばいいのだろう。

日本語の本の文字の拡縮も自在になったので、これまでのような自炊PDFから考えると実に便利である。あとは、紙の本より格安、ということになればガンガン買ってやろうかなーと思うわけだが、そこんとこはこれからの課題。

というわけで、「愛書」という概念を以て遇すべき本は紙本で、という気持ちもないではないのだが、小説とかだったら基本こういうのでいいんじゃネという思いも兆しつつあるところ。とはいいながら、青空文庫版の漱石とかはダウンロードしてるものの、まだ現時点で邦書は買っていないのだった。記念すべきKindleの日本語版購入1冊目は何にしようかな、っとw

あと、アメリカのamazon.comのアカウントにヒモ付けした旧キンドルをどうするか、みたいな問題もあって、アメリカのアカはamazon.co.jpのアカウントに吸収合併できるらしいんだが、なぜか洋書買うならamazon.comのほうが便利らしい。amazon.co.jpのほうが高い値付けをしていたり、あるいはそもそも売ってない本があったりするらしいのである。なんで、その辺は様子見。

小学3年生の息子にみせて、いろいろ自慢しつつ、「オマエが爺さんになることには、本を読むときはもっぱらこういうの使ってんじゃネ? 新聞とかだったら、クルクル巻き取れる紙みたいな機械ができてて、そこに毎日配信されるみたいなことになっててさー」などと一席ぶってみる。ホントにそんな風になるのかは、ま、半信半疑。


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素人が短歌というものを詠んでみる [身辺雑記]


宇宙より飛べと放ちしカプセルの
あわれ地球に落ちゆくときの


「死に至る病は絶望」
喝破せし人のこころを我もまた知る


HIROMIX 囲む人々どよめきて
宴の夜も一人なりけり


われにむけ贈るが如き歌声を
復して歩む粉雪の街


坊っちゃん牛乳 [身辺雑記]

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きのうスーパーで「坊っちゃん牛乳」というのをみかけて、オヤと思った。

つまり文豪漱石の「坊っちゃん」の舞台になった愛媛産の牛乳で、つまりはこの名作にちなんでネーミングされた牛乳ということなのであろう。

しかし、先般「坊っちゃん」を再読したばかりの俺としては、どうにも解せない。なぜって、あの小説では、ご当地・松山は激しく罵倒されていたのではなかったか。たしか褒めているのは温泉ぐらい。とりわけ松山の人間というのは一から十までダメ、みたいな筆致であったから。

もちろん小説なので、別に漱石自身がそう思っていたということにはならないが、しかし自分の故郷をあしざまに罵る小説をありがたがって、地場産品のネーミングに利用する、というのはどういう神経なのだろう? どうなのだ愛媛県民よ。

なんかこういうところがだネ、宗主国にバカ扱いされてるのにヘイコラしてついていく植民地の連中の、なんつーか植民地根性に毒された根性を感じさせる。いいのかこういうことで。自分たちがイイというならいいが。
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東京メトロ東西線を何とかしたい [身辺雑記]

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オレは東京メトロ東西線の利用者である。もともと利用者が多く、朝のラッシュ時には乗車率200%クラスにもなるという、国内屈指の痛勤路線である。そのうえ風が吹いたらすぐ止まっちまう。代替路線も使い勝手が悪い。一昨日も路線点検か何かがあって、一時大変なことになっていた。

ダイヤ改正とかいろいろやってんだが、「もうどうにもなるまい」というのがオレの結論である。東京―千葉方面の路線なので首都圏では相対的に家賃も低く、こんなご時世ではあるんだが、沿線にはなお住宅開発の余地が残っている。もう限界なのに。

こういう状況はどうにも打破できない。ならば、利用者の側の意識を変えるよりないのである。「まぁ、ラッシュもしょうがないよネ」と笑ってすませるような気分になるしかないのである。それで一つアイデアを考えた。さきほど東京メトロのサイトにいって、「ご意見・ご要望お問い合わせフォーム」というところからメールを出してきたので、その内容を再録する。

東西線利用者です。定時運行へのご努力、いつも感謝しております。さて、今回はひとつ提案がありまして連絡させていただきました。

周知のように東西線のラッシュにつきましては御社の努力にもかかわらず抜本的解決が難しい客観的状況があります。そこで考えたのですが、このネガティブな状況をポジティブにとらえることのできるような発想の転換ができれば、われわれ利用者も若干の慰めを得ることができるのではないでしょうか。


端的に申しますと、東西線のラッシュを国の「重要無形民俗文化財」に指定してもらったらどうだろう、というのが小生のアイデアです。

調べてみますと、文化財保護法では無形の民俗文化財を「衣食住、生業、信仰、年中行事等に関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術で、わが国の国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの」と規定しているようです。これに照らしますと、この通勤・通学ラッシュというのは、まさに昭和時代の「衣食住、生業」にかかわる「風俗習慣」と言えるのではないでしょうか。

この通勤ラッシュ、各社の努力により年々解消に向かいつつあるようですが、東西線についてはその解消が至難と思われる以上、その弱みを逆手にとり、「これこそ昭和民俗を正しく継承する民俗である」とのお墨付きを得てしまうのです。これが実現したら、痛勤地獄に苦しむ人々も「これも民俗の伝承にともなう苦しみなんだから、仕方ないか」と少しは思えるようになるのではないでしょうか。

というわけで、御社におかれましては、このような運動を推進する旗振り役を務めていただきたく、ここに提案を申し上げる次第です。お立場上「恥ずかしい」といったお気持ちが先にたつかもしれませんが、御社はむしろ無秩序な開発に付き合わされて苦労をしょいこんでいる立場なのですから、その点は何ら恥じるところはないと思います。

突拍子もないアイデアとは思いますが、なにとぞ前向きにご検討のほどお願いいたします。



われながら良いアイデアだと思う。お返事がきたら、また当ブログで紹介したいと思う(来ねーかw)




【追記】
などと言っておりましたら、さっそく夕方にお返事がきた。以下転記。

東京地下鉄お客様センターです。

平素より東京地下鉄をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
また、弊社ホームページより問い合わせいただきまして重ねてお礼申し上げます。

東西線をご利用の際、ご不便をおかけいたしまして誠に申し訳ございません。

この度は、東西線のラッシュを国の「重要無形民俗文化財」に指定との、具体的なご提案をいただきましてありがとうございます。

ご連絡いただいたご提案は、ご利用のお客様からの貴重なご意見と承り、今後の運営の参考とさせていただきたく存じます。

お忙しい中大切なお声をお寄せいただき、誠にありがとうございました。

今後も東京地下鉄をご愛顧賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

東京地下鉄株式会社 お客様センター


むぅ、ジョークにはジョークで返して頂きたかったンだが、「生協の白石さん」じゃないので、それは無いものねだりであったか(笑)。ま、こういう杓子定規なリアクションも鉄道事業者っぽくてイイと思うよ、うん。


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マック赤坂というひと [身辺雑記]

石原慎太郎の突然の国政復帰宣言で来月東京都知事選が行われることになり、で、この間隙をついてマック赤坂がまた出馬するというのであった。

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いうまでもなく、マック赤坂という人は「スマイル党総裁」として過去都知事選に出馬したり、このあいだの新潟県知事選にも出ていたり、まぁいってみれば生ける泡沫候補伝説というか、そういう人物である。

気になるのである。なんでこの人はこんなことをしているのか。

検索をしてみると、ウィキペディアにはこんなことがかいてある。

財団法人スマイルセラピー協会会長として全国で講演活動を実施、老人介護施設等でボランティア活動を行っている。このスマイルセラピーとはスマイルをメイクすることでメンタルをマイナスからプラスへネガティブからポジティブへ変えるトレーニング療法である。モテない人をモテモテに変える「恋愛モテモテコース」などもある。


京都大学農学部を出て、伊藤忠に勤めていた、ともかいてある。で、今はこの「財団法人スマイルセラピー協会会長」としての講演活動とかで生活しているらしい。謝礼は2時間で20万円以上、とある。選挙で名前はそこそこ売れているらしいので、そこそこ商売になるのかもしれない。なお、上のブログをみると愛知県教委で講演をしたようなこともかいてある。大丈夫か愛知県教委、と思わんこともない。

にしても、なんでこういうことをしているのか。わからない。本名は戸並誠というらしいのだが、何で日系二世みたいな名前を名乗っているのか。なんで「赤坂」なのか。わからん。およそ泡沫候補のヒトというのは謎であるわけだが、一度じっくり話を聞いてみたい。なにがアンタをこういう活動に駆り立てるのか。楽しいのか。ま、楽しそうではあるが。



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