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1980年代の青春について [天声人語]

けさの天声人語は、最近の若者はクルマに関心がなくなったようだ、オレたちの頃とは様変わりだ、というような話を書いている。しかし、だからどうしたという話に展開していくわけでもなく、何を言いたいのかは結局わからない。コラムとしては明かな失敗作である。いや、今回はそんなことを言いたいワケではないのだった。以下本題。

天声人語子は、田中康夫の『何となく、クリスタル』をマクラに1980年頃の世の中を回想してこんなことを書いている。

愛車自慢をしあう学生が少なくない時代だった。親に新車を買ってもらう者あり、必死にアルバイトをして中古を買う者あり。持たざる者は小さくなっていた

この辺にツッコミを入れたいのである。

実はオレなんかも1980年代に大学生生活を送った世代だから、その頃の世間の空気はある程度わかっている。だが、少なくともオレの身のまわりには「愛車自慢をしあう学生」なんてものは一人もいなかった(まぁオレにはそもそも友人なんてものはいなかったという話はあるけれどもw)。いやもちろん、六畳一間の木賃アパートで年がら年中くすぶっているオレのような貧乏学生とは全然違う世界に住んで、クルマで女とドライブして遊んでるような男だって実際いたことはいただろうよ。そのことは認めよう。

ただし。

「持たざる者は小さくなっていた」なんて事は絶対なかった。少なくともオレに関しては100%なかった。「キャンパスライフをエンジョイ」みたいなものはインチキだと思っていたオレは、銭湯だって週2回でいいと思っていたし身なりも汚なかったけれども、チャラチャラ遊んでるような連中とはオレは違うのだと無理やり自分に言い聞かせて、読めもしない原書をパラパラめくっては「知的プロレタリアートここにアリ」とか気取って、ま、今から考えると幼いけれども自分なりに一生懸命突っ張っていたのである。

まぁそれはともかく、オレが自信をもっていえるのは、大部分の学生はそんな世界を横目に「ちくしょうオレはオレで頑張るしかねーんだよ」と懸命に胸を張って生きていた、ということである。

しかるに、クルマを持たざる者は「小さくなっていた」などと平気で書いてしまう新聞記者というのは何なのだ。確かに天声人語の最後には「かつて持たざる者として(その時代を)過ごした」とか書いてあって、「自分もクルマなんてもってない庶民の側にいたのでヨロシク」みたいな嫌らしいエクスキューズをつけてはいるのだが、そんなことで誤魔化そうとしても駄目である。

1980年代の貧乏な学生は、クルマをもってる金持ちのボンボンに気おされ平伏して「オレは駄目だ~」みたいにしょげていた、なんてゆーのは完全な歴史の偽造である。馬鹿野郎、そういう金持ち連中の仲間に入りたくて入りたくて、揉み手しながら隙あらばお仲間に加えてもらおうと思ってたのはオマエだっつーの。そりゃ今や功成り名を遂げて天下の朝日の名コラムニストかなんかのつもりかもしれんがな、この文章ひとつみてもオマエの品性は下劣なのは丸わかりだっつーの。一緒にするんじゃねーよ!

・・・ちと興奮してしまった。が、なんか貧乏で空回りばっかりしてたけど、それなりに一生懸命だったオレの青春時代が冒涜されたような気がしたので、書かずにはいられなかった。


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