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引っ越してみようか、と。 [身辺雑記]

so-netのブログなんだが、前々から読み込む時に生じる「しばらくお待ちください」的遅延が気になってはいて、今回livedoorのほうに同名のブログを開いてみた。

軽いことは確かでアル。

こっちの過去のエントリーを移行して完全に乗り移ろうかと考えているが、スキルがないので、いっこずつ手作業でコピーせねばならず、面倒臭くなったらこっちに戻ってくるのかもしれぬ。
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完本 何かが空を飛んでいる [身辺雑記]


定本 何かが空を飛んでいる

定本 何かが空を飛んでいる

  • 作者: 稲生平太郎
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2013/11/25
  • メディア: 単行本



というわけで、待望久しかった稲生平太郎『何かが空を飛んでいる』が今月ようやく復刊される運びと相成った。とゆーか三部構成になってて、一部が「何かが空を飛んでいる」、二部はオカルト関連の論考集なのであろうか「影の水脈」、三部は「他界に魅せられし人々」というラインナップ。

古今東西の幻想文学に造詣の深い著者だけに二部以降はオレなどはよく知らんネタ満載のようであるが、フレデリック・マイアーズなども登場するようであり興味津々。定価3,360円だそうだが、こういう本を買わずして何を買う、というかんじ。


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スクエニ絡みのフィッシングメール [身辺雑記]

たまにフィッシングメールというのが来るのであるが、これなんかもそうである。

タイトルは [スクウェア・エニックス アカウント]あなたのID異常
差出人は autoinfo_jp  とある。

enix0.jpg

一見してダメである。「ID異常」とかいうんだが、全然その説明がない。 まっとうな企業なら最低限、それがどういう現象で、どういう問題があるのか、説明をするのが当然である。 こういう拙い日本語を書いてしまった時点で論外である。 それに誘導先のアドレスなんだが square-entx.com とか書いてあるわけで「entx」とかいってる時点で、失笑ものである。 この辺もうまく偽装しないといけない。

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何で日本人は英語が下手か [身辺雑記]

というわけで、永遠のテーマ「何で日本人は英語が下手か」である。

一説に「英語と日本語は言語学的にかなり系統が異なっているので習得が難しい」という理論があるらしい。だがしかし、それだったら英語をしゃべってる連中は日本語なんて金輪際しゃべれない筈なんだが、じっさいにはケント・ギルバートとかパックンとか流暢な日本語を操る米国人はゴマンといるので、ちょっとこれは違うような気がする。

で、暫定的に俺が考えているのは、ヤッパ英語にどうしてもつきまとっている、あの「リアリィ?」とかいって肩をすくめたり、あるいは「アァハン?」とかいって相づちを打たないといけない独特のノリが、日本人にしてみればどうしても許容範囲外というか、許せないものであるがために、「そんなことやってられっかYO!」という事で日本人は生理的に英語を拒絶してしまうのではないかと思うのだった。「そんなはしたないことはできぬ!」みたいな。

念のためにいっておくと、「日本人はシャイだから下手な英語でやりとりするのが恥ずかしい、よっていつまでたっても上達しないのだ」みたいな議論もよくあるんだが、そういう「シャイ」だとか何だとかいうのは俺の議論からいうと微妙にポイントを外している。もっと実存的っつーか、アイデンティティの崩壊につながるようなクリティカルなトコに英語が土足で踏み込んでくるからこそ、この勤勉な日本人(笑)は逆に悩んでしまって先に進めないのである。

つまり「RとLの区別がつかないから」みたいなテクニカルな問題ではなく、その言語表現をとりまく、文化的なたたずまいみたいなものが日本語環境と英語環境では根本的に違っているところに根源的なポイントがあるのではないか。

じっさい、英語のできない俺たちは英語遣いに対してついつい「軽薄な野郎だ」的な印象をもってしまうわけで、つまり文化環境オリエンテッドな偏見がすべての根源だったのでアル。違うかな。


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人類の文化というものを考える(笑) [身辺雑記]

考えてみるとオレも若い頃は左翼かぶれであった。何かっつーと「それは単なるイデオロギーに過ぎない」とかなんとか、わかったようなクチをきいていたものであるが、この左翼流の「単なる××に過ぎない」という言い回し、実はなかなか使い勝手が良い。「アンタが後生大事に抱えているモノってゆーのは、よくよくみればインチキじゃんガラクタじゃん虚偽意識じゃん」といって相手の拠り所を奪ってしまおうという、「いきなりテキの本丸急襲」みたいな論法である。

で、そのバリエーションでしばしば左翼がもちだす議論に「明治以前の天皇にはそれほど権威があったワケじゃなくて、天皇を万世一系のスメラミコトとかいってあがめ奉る近代の天皇制なんてものは結局明治以降の作りものなんだよネ」というのがある。

皇室の祭祀なんかも長年途絶えてたのを明治になって復活させたものが多い、みたいな話もどっかで聞いたおぼえがある(村上重良氏の言だったような気がするが定かではない)。つまり、皇紀は2600年だか何だか知らんけれども、「日本民族はその間ずっと天皇を仰ぎ奉ってきた」と言い募るのは完全なフィクションなんだから「なにをそんなに有り難がってんだヨ」というツッコミである。

そりゃまぁ確かにそうなのだろう。

そもそも江戸時代には『国』といえば『××藩』というイメージしかなかったというし、そこに近代的な国民国家=ニッポンという概念を立ち上げるためには何かしら象徴的なモノというか、依り代が必要であった。そこで「あぁそういや倉庫の奥に『天皇』ってものがあったなぁ」ってんで倉庫の奥から引っ張り出してきたお神輿が天皇だった、と。そういうことではないか。

ただ、最近ちょっと考えていることがある。「それって実はみんな思っているほど長い歴史があるわけじゃなくて、実は最近でっちあげたモノなんだよね」といって崇敬者をシラケさせようというこの論法は本当に有効なのか。

たとえば「お墓」とか「埋葬」のことを考えてみる。

遺骨を海にまく散骨とか木の下に埋める樹木葬とか最近はいろいろあるようだが、何となく「でも日本人はやっぱり火葬してお墓に骨ツボ納めるのがデフォルトじゃネ?」という風にワレワレは考えがちである。ところが実際は、明治時代になっても日本では土葬がメジャーだったらしい。つまり棺桶を埋めてその上に何か目印の石か何かを置いてオシマイ、というヤツである。時代をさかのぼれば、なんかその辺の草っぱらにゴロンと投げてオワリということもあったそうな。

いまのジョーシキからすれば、「投げ捨てる」のは勿論、「棺桶埋めて墓標たててオワリ」みたいなのはなんとも気持ちの落ち着かないふるまいではないだろうか(そもそも土葬自体実質禁じられてるということもあるが)。たかだかこの150年間の間にすっかりワレワレの常識はラディカルに変わっちまったのである。

いま・ここに生きている人間に「あぁ、こりゃ実にしっくりくるねェ」と感じさせるような制度というのは確かにあるワケだが、その説得力が別に「実際に長年続いてきたから」ではなく、そりゃ歴史的にみればそんなに古いワケではないけれどもまるで2000年続いてきたかと誤解させるぐらいの説得力を感じさせるから、というトコから滲み出してる場合もけっこーあるんではないか、という話だ。

となると、最近の作り物だから軽視していい、とは軽々に言えない。とゆーか、お墓にしても天皇制にしても、おそらくそのスキームがガラッと変わったときにはそれなりの社会的文化的な変動があった筈で、そういう変換点にあって、時代にマッチした説得力のあるシステムを作り出すというのはすげぇ発明ともいえるワケであり、むしろ褒めるべきこと、文化の勝利といえるのではないか?

いや、ここまでいくと何か近代天皇制バンザイに限りなく近づいてしまうので元左翼シンパからするとナンなんだが、考えてみると、こういう議論の射程は相当に深いような気がしないでもないぞ。

たとえば「生物としての人類」というものは何百万年もの歴史をひきずっているわけだが、だからといって「生物学的な本能に逆らうのはイケマセン」ということになれば、「オスが無理矢理セックスしたがるのは本能なので仕方ない」という橋下徹みたいな下品な結論になってしまう。そうではなくて、「いや、生物種としては確かにそういう側面もあるんですが、そこはうまくコントロールして文明を築いているのが我々人間なのです」といってのけてこそ人間は威張れるのではないか。

・・・とまぁ、何だか酔った勢いのチラ裏的メモになっちまった。後日機会があればまた。


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カウンターをつけてみた [身辺雑記]

ということで今頃になってカウンターをつけてみる。

counter.jpg
いや、別にしょせん便所の落書き、チラ裏ブログであることは否定しないがネ、まぁ厄介なことにこんなオレでもちったぁ自尊心みたいなものがないではない、少~しずつでもカウンターが回っていけば、こんなもんでも続けてる甲斐があるんじゃねーか。みたいな。ハイわかってますよ思い上がりデス(笑)。
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ネットという漁網 [身辺雑記]

しかしよくよく考えると、ネットというものが当たり前の時代になっていろいろ変わったことというのは様々あって、たとえば「ネットからでてきた論客」などというのは、活字メディアが情報のコンテナを独占していた時代では考えられないことであった。具体的にいえば内田樹氏などというヒトは世が世であれば(笑)レヴィナスかなんか研究している偏屈な学者サンという立ち位置で一生を終わっていても不思議ではないヒトだったワケで、もちろん内田氏に対してはいろいろ批判をするヒトもいるわけだがオレ的にはとても貴重な人材であると思っていて、考えてみれば人材発掘ツールとしてのウェブというのはスゲェのである。

で、そういう文脈でいうと、「村上春樹というのは過剰に評価されすぎじゃネ」という、つまりは「王様は裸だ」的発言をアマゾンレビューにアップして一躍脚光を浴びたドリーさん(ちなみにこの埋没地蔵の館というのが彼のホームグラウンドらしい)というヒトもオレに言わせればスゲェ逸材である。

願わくは、そういう世に埋もれた人々に光あれ。というのが、オレのせめてもの願いである。「新潮45」あたりでこのドリーさんをコラムニストに仕立て上げてやっていただけないだろうか(笑)。オレは読みたいゾ。

【5/25追記】
などと書いていたら、このドリーさん、件のブログをみたらライターの仕事が入った?みたいであるぞ。がんばれがんばれ。
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此処より下に家を建てるな [身辺雑記]

わけあって、本州最東端の岬、岩手の魹ヶ崎(とどがさき、と読む)に行ったことがある。

途中までバスでいって1時間ぐらい歩いていったのだが、バスの終点、姉吉というキャンプ場の手前に昭和初期に建てられた石碑があり、「此処より下に家を建てるな」と津波への被害を警告している。

【注】 いやホントのことをいうと石碑はキャンプ場手前の道端にあるので、オレはバスでその脇を通っただけの話である。その姉吉キャンプ場に立っていた「ココ津波到達点」みたいな看板のことは憶えてるが。

閑話休題。3.11以降、震災のあった土地に興味本位で足を踏み入れるのは如何なものかという思いもあり、東北にはずっと行っていないのだが、ふとした拍子にその石碑の話を思い出すことがある。

人間が生きていくということは、つまりああいう石碑を建てることである、と思ったりする。

aneyoshi.jpg
(これは借り物の写真である)
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Euro Truck Simulator 2 [身辺雑記]

ets2.jpg

Euro Truck Simulator 2 というPCゲームをやっておる。ハンコンも使える。トラックを運転して、ヨーロッパ各地で貨物運搬をしてカネを稼ぐというゲーム。ただそれだけなのだが、ドライブのリアル感というものをけっこううまく醸し出しており、悪くない。
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問題は「歌がない」ことだったのだ [身辺雑記]

なんでこう鬱々として楽しまないのだオレは、という風に考えていたのだが、ひとつわかったことがある。

「歌」が足りないのだ。嬉しいにつけ悲しいにつけ、人は歌を唄うものなのだ。

唇に歌をもて。
それを忘れたら人間の心は痩せ衰えていくのだった。
そういえば全然カラオケにいってないぞオレは。

よし。とりあえずYoutubeを開いて、レ・ミゼラブルの Do You Hear the People Sing? を流しながら歌ってみる。

爽快だ。

そういうことだったのだ。




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