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天声人語風メーカー [天声人語]

「天声人語風メーカー」というのをみつけた。批判したいモノ・擁護したいモノ、それぞれの主張を入力すれば、それっぽい文章ができるという。ちょっとやってみた。ところどころ文章がおかしいけれども、何となく空疎で上っ滑りな天声人語のニュアンスはよく出ている。


菅直人は原発を停止せよと主張している。しかしちょっと待って欲しい。原発を停止せよと主張するには早計に過ぎないか。 菅直人の真摯な姿勢が、今ひとつ伝わってこない。 例えば電力会社からは国民生活のため原発は必要と主張するような声もある。 このような声に菅直人は謙虚に耳を傾けるべきではないか▲ 思い出してほしい、過去にも何度も菅直人は電力会社の叫びを無視している。 菅直人は電力会社の国民生活のため原発は必要という主張を間違いであるかのような発言をして、批判を浴びた。 確かに電力会社には手前勝手な論理という問題もある。だが、心配のしすぎではないか▲ 菅直人の主張は一見一理あるように聞こえる。 しかし、だからといって本当に菅直人は原発を停止せよと主張できるのであろうか? それはいかがなものか。的はずれというほかない▲ 事の本質はそうではではない。その前にすべきことがあるのではないか。 菅直人は、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。 菅直人の主張には危険なにおいがする。各方面の声に耳を傾けてほしい。▲ 菅直人に疑問を抱くのは私達だけだろうか。 原発を停止せよと主張したことに対しては電力会社の反発が予想される。国民生活のため原発は必要という主張を支持する声も聞かれなくもない▲ 菅直人もそれは望んでいないはず。しかし菅直人は妥協や調整が下手である。 原発を停止せよと主張する事はあまりに乱暴だ。菅直人は再考すべきだろう。 繰り返すが菅直人は妥協や調整が下手である▲ 菅直人の原発を停止せよと主張したことは波紋を広げそうだ。今こそ冷静な議論が求められる。

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いやぁ、また傑作をお書きになったらしいぞ天声人語 [天声人語]

天声人語ウオッチャー?としては不覚であった。何だかとんでもない話をお書きになって、ネット界隈で失笑をかっているらしいのだ天声人語。とりあえずお約束のリンクは以下。

凍えるピザ配達員に缶ビール渡す話が「ほっこり」? 朝日新聞「天声人語」の感覚がズレていると話題に

改めて解説すると、コレ、2月2日付の「作品」なのだが、朝日の投書欄に載った話をネタに一席ぶったものであるらしい。 どういう話かというと、先に関東圏に大雪(笑)が降った際、さいたま市に住む女の子がお母さんに宅配ピザを注文してもらったのだという。配達員さん、2時間後にようやく到着。全身びちょびちょである。さすがにお母さん、何かせにゃと思ったらしい、缶ビールを手渡した。で、女の子のほうも10円の菓子(うまい棒かなw)を渡した。今度は天気の良い日に注文するからネ、っていいながら。

都会の片隅に生まれたこころのふれあい?に、天声人語子えらく感動したようである。「内なるオーブンに火が入」った、とかこそばゆいことを書いておるぞ。

しかし、ま、コリャ笑われるわなあ。

先にリンク先にはネット住民の声が紹介されておるが、いちいちゴモットモである。曰く

「バイクで配達している人にビールを渡すなんて、飲酒運転幇助で捕まるレベル」
「凍えた体にキンキンのビールなんて嫌がらせレベル。普通はあったかいお茶かコーヒーじゃないか?」
「そもそもあの大雪の日に宅配ピザを頼むなんて大間違いなんだよ」

そうそうその通り。そもそもそんな日にピザ注文するのは非常識であって、そんなこと初手からわからんでどーする、つー話である。天声人語子としてはむしろそんな愚行に走ってしまった母娘に正義の鉄槌を下さんとマズイだろう。あるいは、何て浮世離れした家族なんだろうとあきれる、とか。

やっぱこの書き手は貴族主義者なのだ。だから安い時給でこき使われ、それでも豪雪(笑)の日にバイクで必死でピザ届けたはいいが、そこで冷たいビールとうまい棒(仮)とゆー驚愕のお土産を手渡され、もうほとんどカフカ的状況に打ちのめされながら店に戻っていったであろう青年の心持ちには全然思いが及ばないのだった。「若者は時給を超えた出会いを得た」 みたいなトンチンカンなことを書いてしまうのだった。

いけません。もう末期症状ではないだろうか。


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今回も朝日を褒めてやろう [天声人語]

天声人語はバカらしくて最近あんまり読んでない。しかし朝日新聞、腐っても鯛で、たまにオッと思わせる記事も出ている。本当に朝日は天声人語で損をしているナ(笑)。

最近感心したのは、まず、これ。

ブラック企業と呼ぶ意義 提唱者の一人、今野晴貴と探る

昨日の文化面だったと記憶するが、この日本の社会状況を抉り出す社会科学的(風?)キーワードとして「ブラック企業」という言葉を捉え直し、今野晴貴氏に話を聞いてこようと考えた塩倉裕記者のセンスはとてもよい。ネット上ではカネを払わんと全部読めないのが残念であるが、つまり、最近の若者はマトモな職もなく可哀想な状況に置かれているんだが、「けっきょく連中はこらえ性もなくてすぐ会社辞めちまうし、自業自得よ」みたいなステレオタイプもいぜんとしてあって、つまりは何か全てを精神論のレベルに落とし込もうという潮流があるのに対して、「いや違うよ、こういう時代に生きる若者の立場の弱さにつけこんで跋扈してる悪い連中がいるんだよ、これ社会問題だよ」という指摘をしているのである。

ちなみに、およそ世間にはびこる世代論というのはほとんどインチキであって、まぁその辺は「俗流若者論」批判の後藤和智氏あたりの議論が参考になるけれども、オレのみるところ、強いて説得力のある議論があるとすれば、それは「団塊の世代は危ない世代だ」という説で、たとえば他と比べると犯罪を起こす率が高く、近年になって急に「キレる暴走老人」が急増したという話もそういう文脈で考えるべきなのである。

閑話休題。最近の朝日でもうひとつ感心したのがあって、

(インタビュー)刑務所から見えるもの 犯罪学者・浜井浩一さん

これも確か昨日の朝刊オピニオン面。ネットの記事は例によってカネを払わんと最後までよめず、読める範囲ではインタビュアーの名前が確認できんのだが、確か女性だったような気がするなあ。現物を引っ張り出して確認するのも面倒なのでその件は措いておこう。

さて、浜井氏は以前から「日本の治安は全然悪化していない、とゆーかここ数十年についていえば悪化したことなんかない、年々良くなってる(笑)」とゆー議論を一貫して展開してきた人で、つまりファクトに基づいた話のできる正論の人である。

で、今回のは、最近の日本の刑務所には再犯のジジイみたいなのが大量に入ってきているんだが、今の日本では生きるすべをうまく見つけられないそういうジジイたちをすくい上げるシステムがなくなってきちまってんじゃねえの、だから刑務所はジジイで満杯という状況が生まれてんじゃねえの?という議論を展開している。

ついでに、北大の山岸俊男氏の議論を援用して、「日本で犯罪が少ないのは結局となり三軒両隣とゆーか隣組とゆーか、そういう世間の目を気にして生きてきた相互監視体制が機能してきた結果であり、これからはそういうのも機能しづらくなっていくんじゃねーか、こっからが考え時だよネ」という話も展開している。これも実に良い視点である(なおここまでの内容要約はオレ流に意訳しているので誤解なきように。本当にこんな下品な言い方をしているわけではないw)。

とゆーわけで、「魚は頭から腐る」という言葉もあるので、こういった良い記事を書いた記者さんたちは、決して天声人語子のような記者にならぬよう心がけつつ精進されたい(とエラソーに言っておく)。


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天声人語子は「アナログ」の意味を知らないらしい [天声人語]

久しぶりに天声人語のことでも書くか。今朝のはまた酷かった。

日めくりの暦がどうも苦手である。馬齢のせいか、目に見えて「残り日」が減るのが面白くない。愛用者も多いけれど、24時間すごせる回数券を日々ちぎるような、デジタル的な喪失感がきつい▼他方、ひと月ごとのカレンダーは、きょうとあすの間の余白に味がある。アナログの安らぎとでもいおうか、消えていく時が見えにくいのがいい

一読して、意味が全然わかンなかった。日めくりカレンダーをめくっていくと、当然のことながらだんだん嵩が減っていく。これを「デジタル的な喪失感」といっているんだが、ハテ、これは逆で「アナログ的な喪失感」ではないのか? 読者諸兄もご存じのように、何か物理的な「量」として存在するもの、体感的に「量」を感じ取れるものをアナログという。であれば、どんどんやせ細っていく日めくりカレンダーというのはまさしくアナログ的なものであって、デジタルという概念とは真逆のものである。

「消えていく時がみえにくいのはアナログ的だ」とか言ってるが、アナログというのは、むしろそういう変化が見えやすいものなのである。推測するに、まず「デジタルは味気ない=ダメ」「アナログは安らぎをもたらす=スバラシイ」という先入観があって、それからこの筆者はたまたま日めくりカレンダーがキライなので、日めくりカレンダー→悪いもの→デジタル、というワケのわからない論理を展開してしまったのだろう。

結局、この筆者は辞書の引き方も知らんことがわかった。校閲もこんな文章を黙って通しているので失格。議論がトンチンカンなのは毎度のことだが、言葉の用法ぐらいはちゃんとチェックしなさい。




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上げたり下げたり(笑)で忙しい。朝日新聞 [天声人語]

今回も「天声人語」ネタではないんだが、きょうの朝日新聞夕刊のミニコラム「素粒子」が噴飯モノだったので、念のため突っ込んでおこう。こんなことを言っているぞ。

米大統領選を見るたびに考え込む。候補者の弁舌に熱狂する聴衆ら。そんな演説を一度聞いてみたい。日本語で。

言うまでもなく、近々ある民主党、自民党の党首選びと米国の大統領選を対比させての一節なんだが、あのさー、そういうのを「ないものねだり」というのだよ。

アメリカの大統領選びで群衆がワーワー言って熱狂する。「あぁ政治ってのはこういうンじゃないとダメだよねー。日本のリーダー選びは、何かオレらの知らないところで根回しばっかやってて全然盛り上がれねーじゃねーか。ツマラン」。ま、こういう心境を吐露されたのだろう。その気持ちはワカランではないが、長屋の八っつぁんクマさんじゃないんだから。天下の公器でそういう思慮皆無の文章を書いてはならない(笑)。

演説聞いて熱狂して拍手する。そういうことができればいいと思ってらっしゃるようだが、はて、仮に素晴らしい演説をする政治家とかが出てきたとして(ま、出てこないと思うがソレはまた別の話なのでここでは追究しない)、そもそも聴衆としてそういうリアクションをする人間が身近にいたら、オレたちはどう思うか? 言うまでもない、「変な人!」でオシマイでしょう?

よく考えると、日本にはもともとそういう「文化」がないのである。気に入らなかったらブーイング、お気に召したら拍手万雷、そうやって万機公論で意見を表明していく、っつーのは、まぁ日本人にとっては教科書的な民主主義ではあるけれども、そういう行動ができたらスッキリしてていいな、とは思っても、現実には取りたくても取れない、いや気恥ずかしくてできない。

いや、そりゃ「これからはグローバリズムの時代だから」ってんで、「ハッキリ自己主張しないで身内同士で以心伝心みたいなことを言ってたらこれから通用しないゼ」といった議論は正論ではあるんだが、そもそも「演説聞いて口笛ピーピー」みたいな行動パターンはオレたちの身体に血肉化されてないのである。「かくあらねばならぬ」とかいっても、そんなことはできないのである。

じゃあどうするか。そういう議論をしてほしい。「オマエもアメリカ人みたいになれ」と説教されても何にも進まないのである。ハッキリものを言いたくてもなかなか言えなくて、結果寂しい笑いを口元にうかべて黙ってしまうような、そう、あの小津安二郎の映画にでてくる笠智衆みたいな、「含羞」というものを知る人たちがどうやって共同性を獲得していくか。問題はそういうところにあるのではないのか。

「名月をとってくれろと泣く子かな」。我が郷土・信州の生んだ小林一茶の句だ。「素粒子」をお書きの方は教養がおありかと思うので(笑)当然知っていると思うのだが、こういう文章を書いているようでは一茶あたりについても全く何もワカッテイナイのだろう。残念。
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朝日にも良い記事がないではない。「原発とメディア」 [天声人語]

今回もカテゴリー「天声人語」としているが、じっさいは天声人語ネタではない。たまには朝日新聞を褒めてやろうというエントリーである。

夕刊に連載されている「原発とメディア」であるが、ここのところ、朝日OBがいかに原発ムラに取り込まれて、原発賛美の広告塔をしてきたか、という話を取り上げている。江森陽弘、田中豊蔵といった実名もあげている。これは大変素晴らしい。

もちろん原発はどうしたって必要、という議論はあっていいと思うんだが、このたびの事故で「これまでの原発」はデタラメだった、というのは明らかになってしまったので、その後押しをしてきたことについては相応の責任をとってもらわねばならない。ましてや、金銭的な見返りをうけて広告塔役をしてきたというのであれば、そこはキッチリすべきなのだ。

しかるに、皆さんご存じのように日本の大新聞というのは基本的に自己批判というものをしない。おのれの無謬性を言い募るあたりは、新聞がしばしば批判の対象としている官僚とか旧日本軍にむしろよく似ている。

たとえばの話、原発問題についていえば、このたびの事故で保安院とか原子力安全委員会といったあたりが東電とズブズブでぜんぜん規制がきいてなかったことがハッキリしてしまったんだが、そのあたりをコミで「原発は危ない!」と警鐘をならす人々がいたにもかかわらず、「いやぁたぶん大丈夫でしょ」などと言い募り、それが今になって「連中はなにをやっていたんだ!」とか言い出すというのでは筋が通らない。朝日の場合はそこまで露骨ではなかったかもしれんが、そういうところもある。

であるだけに今回の朝日の企画は、こういう業界にあってはかなり画期的な試みとして評価したい。もっとも、すでに会社と切れたOBを槍玉にあげるというのは、まぁトカゲの尻尾切りというか何というか、そういう気がしないわけでもない。

本当は会社の中枢にあって「原発? まぁ安全だろうよ」という論調を3.11まで展開していた現役バリバリのエライ人がいるわけで、その辺に遠回しの利益誘導がなかったのかどうか(とゆーか、広告費がガッチリ入ってた時点で遠回しもクソもないのかもしれないがw)キッチリ検証していただきたい。そこまで突っ込めたら満点だ。

P.S.
で、新聞協会賞にこの朝日の「プロメテウスの罠」が選ばれたようだ。この企画も基本的には良いものだと思うンだが、しかし以前のエントリーで書いたように、「首都圏あたりで鼻血を出す人がでている→原発の影響では?」的な放射脳的風評を流布させた咎もあるので、そのへんはきっちり自己批判してから先に進んでもらいたいものである。

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しつこく「夏の甲子園」に絡む(笑) [天声人語]

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今回も天声人語批判じゃないんだが、夏の甲子園の欺瞞が浮き彫りにされるニュースがあったので、朝日新聞つながりということで念のためここに記しておこう。

閉会式の大会総評で、奥島孝康・日本高野連会長がとんでもないことを言ったらしい。ニッカンスポーツのサイトから引用してみる。

大谷見られず残念、高野連会長発言に抗議


閉会式での大会総評で甲子園がざわつくシーンがあった。奥島孝康日本高野連会長(73)が「地方大会では有力校が次々と敗退するなど、夏を勝ち進む難しさを痛感させられました。その中で全国大会に駒を進めた49代表は、記録と記憶に残る戦いを演じてくれました」と話した後、「とりわけ残念なのは花巻東(岩手)の大谷投手をこの甲子園で見られないこと」と異例の個人的見解を述べた。その直後から大会本部には「盛岡大付が岩手代表で出場しているのに失礼ではないか」という数件の抗議電話が寄せられた。大会本部の関係者は「ああいう場で申し訳ない」と、会長の発言について陳謝した。 [2012年8月24日8時29分 紙面から]



何度も書いていることを繰り返すようでナンだが、これまで高野連とか朝日新聞は、「高校野球は教育の一環」だとか何とかさんざん綺麗事を並べ立て、だからこそ野球部員が万引き事件でも起こそうものなら「連帯責任」で公式戦出場停止、とか、つまりはガリガリのアナクロ頑固ジジイのスタンスを墨守してきた。

ところがここにきて、例の「作新学院の部員が強盗事件を起こしたのにお咎めなし」という一件が象徴するように、「もう小うるさい能書きなんてやめたやめた、さぁ皆さん、超一級の高校球児のプレイを満喫して楽しんでくださいよ、明日のプロ野球のスターもきっといますゼ」とばかりに、盛り上がりさえすりゃ何でもアリ路線にひそかに舵を切っているのである。

で、まさに今回の高野連会長の発言であるが、語るに落ちた、というのか、奥島孝康サンは今回そのホンネをはからずも口走ってしまったわけだ。

俺なんかは、たとえば地方の無名の公立高校が並み居るセミプロ野球部を撃破して勝ち上がっていく、そういうストーリーのほうがよっぽど面白えや、と思うのだが、奥島サンは、やっぱり超高校級の一流選手がいっぱい登場して大会がおおいに盛り上がったほうがよほどいい、とお考えなのである。夏の甲子園が、プロ野球予備軍のセレクション大会になりつつある現状に「これでよし!」とお墨付きを与えているわけである。

であれば、奥島サンは一切謝罪する必要はなかろう。「無名の高校が快進撃、なんていうのより、超高校級のプロ予備軍が大活躍する試合のほうが見てえだろ? いいじゃん、それで」とハッキリいえばいいのである。ま、それと同時に「高校野球は教育の一環などではありません」とも言い添えていただければイイのである。朝日新聞にも、とうぜんそういう報道をしていただこう。

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「大阪桐蔭が春夏連覇」をめぐる朝日の記事を嗤ふ [天声人語]

天声人語ネタじゃないんだが、夏の甲子園が終わったので、あらためて朝日新聞の記事をみて嗤おうというエントリーである。

結果的にきょうの決勝戦、大阪桐蔭高校が青森県代表(笑)の光星学院を下して優勝したわけだが、それを報じる本日の朝日新聞の夕刊(東京発行4版)はなかなか面白かったぞ。

社会面は青森県代表(笑)の光星学院の健闘をたたえる記事を書いている。しかし、やっぱりウソは書けないから、たとえばこんなくだりがある。

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そう、主力はどう考えたって外人部隊、という事実は朝日新聞でも認めざるを得ないのである。まあエースピッチャーが地元・八戸出身の金沢君だったので、かろうじて青森代表としての面目を保ったと言えば言えないことはないンだが、しかし基本的に「仕事は野球」という外人部隊であるからして、地域の人が何か差し入れにきて「がんばってケロ」とかいって交流するような心温まるエピソードは残念ながらなかったようで、そのあたり、朝日新聞青森支局員の苦労を思う(苦笑)。

そりゃこの子たちが「じゃあ俺はこれからもずっと青森で暮らしてくぞ」とかいうんだったらね、俺もこんな辛辣なことは言わないんだが、どうせ連中は卒業したら大阪とか自分の地元に帰っていくのである。そういう意味じゃ、「田舎に行って甲子園出場にショートカット→ざまーみさらせ」という連中の腹の中はミエミエである。いや、実のところ、この朝日の社会面にもそのあたりの機微を伺わせる一節が、さりげなく書いてあったりする。

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そう、つまりこの北條君にとっての甲子園というのは、地元の名門・大阪桐蔭にフラれちまって都落ちを余儀なくされたけれども、「クソー今に見返してやる」って心に誓って、んで何とか頑張ってここまでやってきた、というストーリーなのである。「清く正しい高校球児」という朝日新聞の基本フォーマットとはちょっと違うんだが、むしろこういう一節のほうがリアリティを感じさせて心を打つ。かつて巨人を追われた三原脩が、はるか九州の西鉄を率いて日本シリーズで遺恨を晴らした、みたいな。

というわけで、「清く正しい高校球児」という幻想を称揚しようとするんだが、なかなかそういう風にはいかずに、むしろその背後にある高校球児のギラギラした野望みたいなものがどうしようもなく浮かび上がってしまったあたりに、この夕刊の記事の面白さがあるので、購読者の方もぜひその辺を味わいながら読んでほしい。

ちなみにこの夕刊の一面にはこんなことも書いてある。

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この太田幸司氏の発言は、もちろん「もう東北の高校野球を遅れてるとはいわせない」という意味なのだが、これを逆にいえば、今の時代、東北代表だ、北海道代表だとかいって地域の栄誉を担って甲子園に出て行くというタテマエは実質崩壊しつつある、ということでもある。別に島根県に縁もゆかりもない指導者・選手が、たまたま島根県で野球をやっている、みたいな世界である。

ま、しかし、大きな流れでいえば、別に「これはまずいよなー」「朝日新聞もいよいよ苦しいな」みたいな声はあんまり盛り上がっていないみたいなのだよ。そういえばロンドン五輪の卓球女子団体戦の準決勝で日本が戦ったシンガポールの代表なんかも、中国から帰化した選手ばっかりだったし、猫ひろしがカンボジア人になっちまった件もあったし、世の中そういう方向に向かってんのかな。グローバリズムの時代だし、とかいってな(笑)。

というわけで、「朝日新聞を嗤ふ」とかいいながら、客観的にみれば嗤ってるのは俺一人(笑)ということにもなりかねない状況もコレあり、なんかこんなこと書きながらチト哀しくなってきたりもするのだった。



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バカ製造器=「天声人語書き写しノート」 [天声人語]

なんとなく目に触れたのでつっこんでおくか。

天声人語の書き写し 青森県八戸市立是川中学 2012年7月16日15時27分

 発売以来100万冊を突破した「天声人語書き写しノート」を、県内でも学習に採り入れている学校がある。八戸市立是川中学校(三上斉校長、生徒数142人)は毎朝、授業の始まる前の15分間を、表現力向上のために使っている。木曜日と金曜日は、天声人語書き写しの時間だ。

 午前8時。「デイリーハンドの時間です」という放送で、全学年7クラスの生徒たちが、一斉に書き写しノートを開いて鉛筆を動かし始めた。同校は「読み」「書き」「聞く」「話す」「歌う」を、「五つの表現活動」として力を入れている。「デイリーハンド」は、「読み」や「書き」の活動を指す。

 三上校長は「将来のキャリアアップのための基礎作り」と話す。最初は言葉ごとに短くしか書き写せなかった生徒が、文節ごとに長く書き写せるようになり、内容の要約もできるようになったという。継続することで集中力や国語力が自然と身につくので、受験にも役立ちそうだ。

 書き写しノートは、近くのASA(朝日新聞販売所)から取り寄せ、昨年秋から学習に採り入れている。注文は、3冊(630円=税込み)から、近くのASAか、青森県朝日会(017・743・9797)へ。

日本列島に幽霊が徘徊している。「天声人語書き写しノート」の幽霊が(笑)。

こんなものを奴隷宜しく書き写すんじゃなくて、自分の頭で考えろよ八戸の中学生。文章を「長く書き写せるように」なったら偉いのか? 「権威」の言葉をオウム返しに語れるようになったら偉いのか? ここはひとつ、キューブリックの「時計じかけのオレンジ」でも見てきたら如何か

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ロンドン五輪閉幕を飾る天声人語の「迷文」 [天声人語]

けさの天声人語がまたまた奇っ怪なことを書いていた。

ロンドン五輪終幕を受けての話であるが、男子サッカー日韓戦終了後に韓国選手が「独島はわが領土」という紙を掲げてオリンピックに政治をもちこんでしまった残念な一件などをひいて、最後をこう締めくくっている。

次の聖火がリオの空にともる頃、世界は少しは前に進んでいるだろうか。日韓はうまくやっているか。それもこれも、人の肉体ではなく意思一つにかかる。例えば100㍍で9秒5を切るより、ずっと易しいはずだ。


解説すると、世界の宥和というのは意思一つあればできるものであるから、実際に肉体を鍛え上げねば達成できない「100㍍で9秒5」よりはたやすい、と言っているわけである。

一読して、エッ?と思った。「100㍍で9秒5」が来る日はあっても、紛争のまったく無い世界、日韓が仲良くやってる世界なんてのはたぶん100年200年たっても実現しねーだろーなー、というのが真っ当な知能をもっている人間の常識ではないだろうか? それと正反対のことを言っているぞこのおじさんは。

こういうところに天声人語子の人間理解の浅さが出てしまうのだ。

そりゃ世界平和は「意思一つ」の問題といえば言えるかもしらんが、人間同士がその「意思を一つにまとめる」というのが如何に難しいことか。5人10人の集団でさえそうなのだ、ましてや事は国際政治のレベルである。

ある意味で、「オレタチ」と「オマエタチ」がどうしても仲良くできない、というのは、おそらくは何万年にも及ぶ人類の歴史の中に刻まれてきた、ある意味で人間の宿痾ともいうべき性格なのではないだろうか。それを「意思一つ」の問題で片づける。本気でそんな書生論が通用すると思っているのだろうか。

むしろ「100㍍で9秒5」のほうが遥かにたやすい、と俺は思う。確かに人類の中でも傑出した才能をもつ人間が、さらに血のにじむ努力を重ねた上でようやく成るか成らぬかというレベルの話ではあろう。が、「そのために何が課題になっているのか」といったあたりは、スポーツ科学の力なども借りて理詰めで進めていける部分が相当あるはずなのだ。そして「敵」がハッキリしている戦いほど戦いやすいものはない。

結局のところ、天声人語子は「意思一つの問題なんだから、世界平和のほうがたやすいはずだ」という素朴な願望をここで語っているに過ぎない。信仰告白である。が、しかし、お祈りすれば何でもかなうほど世の中は甘くできていない。上っ面の美辞麗句で世の中は動かない。お願いだから、もう少し勉強をしてほしいものだ。

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