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上げたり下げたり(笑)で忙しい。朝日新聞 [天声人語]

今回も「天声人語」ネタではないんだが、きょうの朝日新聞夕刊のミニコラム「素粒子」が噴飯モノだったので、念のため突っ込んでおこう。こんなことを言っているぞ。

米大統領選を見るたびに考え込む。候補者の弁舌に熱狂する聴衆ら。そんな演説を一度聞いてみたい。日本語で。

言うまでもなく、近々ある民主党、自民党の党首選びと米国の大統領選を対比させての一節なんだが、あのさー、そういうのを「ないものねだり」というのだよ。

アメリカの大統領選びで群衆がワーワー言って熱狂する。「あぁ政治ってのはこういうンじゃないとダメだよねー。日本のリーダー選びは、何かオレらの知らないところで根回しばっかやってて全然盛り上がれねーじゃねーか。ツマラン」。ま、こういう心境を吐露されたのだろう。その気持ちはワカランではないが、長屋の八っつぁんクマさんじゃないんだから。天下の公器でそういう思慮皆無の文章を書いてはならない(笑)。

演説聞いて熱狂して拍手する。そういうことができればいいと思ってらっしゃるようだが、はて、仮に素晴らしい演説をする政治家とかが出てきたとして(ま、出てこないと思うがソレはまた別の話なのでここでは追究しない)、そもそも聴衆としてそういうリアクションをする人間が身近にいたら、オレたちはどう思うか? 言うまでもない、「変な人!」でオシマイでしょう?

よく考えると、日本にはもともとそういう「文化」がないのである。気に入らなかったらブーイング、お気に召したら拍手万雷、そうやって万機公論で意見を表明していく、っつーのは、まぁ日本人にとっては教科書的な民主主義ではあるけれども、そういう行動ができたらスッキリしてていいな、とは思っても、現実には取りたくても取れない、いや気恥ずかしくてできない。

いや、そりゃ「これからはグローバリズムの時代だから」ってんで、「ハッキリ自己主張しないで身内同士で以心伝心みたいなことを言ってたらこれから通用しないゼ」といった議論は正論ではあるんだが、そもそも「演説聞いて口笛ピーピー」みたいな行動パターンはオレたちの身体に血肉化されてないのである。「かくあらねばならぬ」とかいっても、そんなことはできないのである。

じゃあどうするか。そういう議論をしてほしい。「オマエもアメリカ人みたいになれ」と説教されても何にも進まないのである。ハッキリものを言いたくてもなかなか言えなくて、結果寂しい笑いを口元にうかべて黙ってしまうような、そう、あの小津安二郎の映画にでてくる笠智衆みたいな、「含羞」というものを知る人たちがどうやって共同性を獲得していくか。問題はそういうところにあるのではないのか。

「名月をとってくれろと泣く子かな」。我が郷土・信州の生んだ小林一茶の句だ。「素粒子」をお書きの方は教養がおありかと思うので(笑)当然知っていると思うのだが、こういう文章を書いているようでは一茶あたりについても全く何もワカッテイナイのだろう。残念。
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