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買いたい本めも [読書感想文]

私的備忘録として。積ん読必至であるとしても。


ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

  • 作者: ダニエル・L・エヴェレット
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2012/03/23
  • メディア: 単行本



通過儀礼 (岩波文庫)

通過儀礼 (岩波文庫)

  • 作者: ファン・ヘネップ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/08/18
  • メディア: 文庫



酒井勝軍: 「異端」の伝道者

酒井勝軍: 「異端」の伝道者

  • 作者: 久米 晶文
  • 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
  • 発売日: 2012/07/31
  • メディア: 単行本



易―中国古典選〈10〉 (朝日選書)

易―中国古典選〈10〉 (朝日選書)

  • 作者: 本田 済
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1997/02
  • メディア: 単行本



現代易入門―開運法

現代易入門―開運法

  • 作者: 井田 成明
  • 出版社/メーカー: 明治書院
  • 発売日: 1999/10
  • メディア: 単行本



たった独りの引き揚げ隊  10歳の少年、満州1000キロを征く (角川文庫)

たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く (角川文庫)

  • 作者: 石村 博子
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/07/25
  • メディア: 文庫


もひとつ追加。


宗教概念あるいは宗教学の死

宗教概念あるいは宗教学の死

  • 作者: 磯前 順一
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 2012/07/31
  • メディア: 単行本



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経済学でもひとつ。 [読書感想文]

ひたすら読むエコノミクス/伊藤 秀史 著
ひたすら読むエコノミクス


クルーグマン ミクロ経済学/P.クルーグマン 著
クルーグマン ミクロ経済学


思うところあり、五十ヅラさげて経済学でもひとつ勉強してみるか、と思い立ち、とりあえずのリストアップ。


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「エリア51」を読む [読書感想文]


エリア51 世界でもっとも有名な秘密基地の真実 (ヒストリカル・スタディーズ)

エリア51 世界でもっとも有名な秘密基地の真実 (ヒストリカル・スタディーズ)

  • 作者: アニー・ジェイコブセン
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2012/04/05
  • メディア: 単行本



米国でも話題になったという触れ込みのノンフィクション、アニー・ジェイコブセン著「エリア51」(太田出版)をようやく読了。ネヴァダ州の軍管理地域・エリア51というのは米軍の秘密兵器開発基地であるとか、宇宙人が匿われている基地であるとか、まぁいろんな憶測の飛びかう謎めいた場所であるわけだが、気鋭のライターがその歴史と内実を綿密な取材で解き明かした書物、とでもいえば良かろうか。

で、以下はこの本の感想文ということになるわけで、当然ネタバレ的なことも平気で書いてあるので、そのあたりが気になる方は読まないように。念のため折りたたんでおくけれど。

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3年遅れで「1Q84」を読む(4)  [読書感想文]

「1Q84」完結編のBOOK3をようやく読了した。で、読後感を述べるならば、うーん、なんか不全感の残る本。いろんな伏線がほとんど納得のいくかたちで回収されないまま終わってしまった。後先考えずにいろんなエピソードを連ねていって、結果、読者を最後まで引っ張ることには成功しました、でも物語としては破綻したままで終わってしまいました。という本ではないのかナこれは。

思いッきりネタバレではあるが、最終的に天吾と青豆がどうなったかというと「彼らは邪悪なものがひそむ1Q84の世界からの脱出に成功、2人の間の子を守って新しい世界で幸せに生きていくことになりましたオシマイ」という、いわばハッピーエンド風の雰囲気で終わっている。しかし、オレの読みでいくと2人は全然救済されていないのである。どういうことか。

話は大きく遠回りしてしまうが、問題の根源は例の「リトルピープル」にある。

前に当ブログの読書感想文でも書いたことであるが、コイツらは、何の目的かはしらんが大昔から人間の世界に介入しては人間を操ってきた異種であるらしい。というからには一般的にいってこれは日本でいうなら狐狸妖怪のたぐい、西洋でいうなら妖精とかリトル・グリーン・メンの如きものであろうととりあえずはイメージするわけだが、しかし、村上によるこの小人たちの描写は何としてもフォークロア的世界の伝統から切れた「作り物」めいているがゆえに、まったくリアリティを欠いている。これまた先に書いたことだが、個別の民俗の伝統から切れた「小人」を描いたほうが、いわゆる無国籍的な村上ワールドを全世界に売り込んでいくために都合がよい、という話ではないか。まぁ「現代人の苦悩や不全感w」とやらを描くなら無国籍でもいいが、こういう民俗的な小道具を駆使するにはまだまだ村上は修業が足りない。

というわけで、この作品ではリトルピープルのリアリティの無さが決定的な瑕疵となっており、そこは読者サイドが脳内補完して読むしかないのである。ほんとしょうがねーなぁ。

ま、いいや。で、その描写自体は大甘とはいえ、確かに「人間界に介入してくる不気味な異界の使者」という民俗的モチーフはけっこう普遍的だったりする。西洋でいう小人の妖精が典型で、連中は人間の赤ん坊を醜い化け物と取り替えていったり(いわゆるチェンジリングです)、大人を掠ったりもする。日本でいうなら天狗みたいなイメージかな。そういう連中は時代を超えて存在しており、たとえば現代にあっては人間を誘拐して人体実験をするリトル・グレイ――いわゆる小人型の「宇宙人」として語られたりしちゃってることは皆さんもご存じの通り。

そういう意味では、村上のリトルピープルは、このあたりの「伝統」を押さえているといえば押さえているのだ。ジャック・ヴァレの「マゴニアへのパスポート」の受け売りになってしまうけれども、連中は性的な意図をもって人間に接近してくる、とも考えられている。妖精が人を掠っていくのは異種混交によってその「種」を強化する目的があるのだし、「宇宙人」もまたその遺伝子工学を用いて人間の卵子を素材にハイブリッド種を作り、もって彼らの種の生命力を昂進せんとしている、というストーリーだな。

村上流にいうと連中が「空気さなぎ」を作るのは人間との間のコミュニケーション・ツールにするため、という理解がなされているンだが、ともかく「人間を素材に人間もどきを作る」という点では、このリトルピープルも伝統を墨守しているわけだ。青豆が性交渉抜きで妊娠し、リトルピープルの側はその子を何としても支配下に置かねば、と画策する。そこにはこういう事情があるわけだな。


が、しかし。そうすっと青豆の受胎っつーのは、けっきょくはリトルピープルの策略の産物だったことになるよね? で、そこで用いられた天吾の精子というのは、半覚醒状態で体の自由を失った天吾から「ふかえり」がしぼりとったもの(笑)でしたよね? これ、思いっきし夢魔=スクブスの仕業である。改めて言っとくけど、夢魔というのは西洋の話ではあるけれども、「自身に生殖能力が無いため、人間男性の精液を奪って人間女性を妊娠させ、繁殖している」悪魔の謂いである(by ウィキペディア)。そうかー、「ふかえり」って魅力的な美少女だとかいうからついつい好意的に見ちゃうんだけど、けっきょくは連中の仲間だったわけね。悪魔陣営から出てはいるんだけど、反逆したデビルマンみたいな? でも結局、夢魔のお仕事しちゃってるじゃん、みたいな。ホントはアンビバレントな存在でしかないんだけど、彼女を肯定的にしか描き得なかったところに村上の甘さがあり、そこにも小説としての曖昧さ、決定的弱点があるんだろう、きっと。

ということになるとだな、青豆の超自然的な妊娠から生まれるものは、いわば妖怪変化との間のハイブリッドでしかありえない。象徴的なレベルでいえば、これはすなわち妖精に取り替えられた子=チェンジリング以外のものではありえない。いいのか、それで? 2人は連中の呪縛から離れることはできない。ハッピーエンドなんかありえない。ずいぶん遠回りしたが、オレが「2人は全然救済されてないよ」というのはそういう話である。


あと、この小説を読んで思ったことがあって、つまり「2つの月」とか「空気さなぎ」とか、こういうのは「天吾が書いた通りのもの」としてのちに現実の世界に出現してきたもので、天吾自身がビックリ、みたいな話が書いてある。「頭で考えたものがリアルなもの、手触りの確かなものとして現出する」というのは、おそらくあらゆる小説家の永遠の夢なのであろう。作家・村上春樹としては、おそらくその夢を登場人物としての天吾に投影し、作家としての至高の世界にしばし遊んでみました、という側面もこの小説にはあるのだろう。

ということは、メタレベルからみたこの小説は、単純にいってしまえば「すべての天吾の夢想の中のお話でした」という夢オチの世界といって良い。その夢の世界の中で、悪しき父の呪縛を離れ、永遠の乙女を見つけ出し、悪鬼どもの悪巧みを逃れて、で、最終的には現実の世界に無事戻って参りました、という、まぁけっきょくはドラクエ的ロールプレイングゲームだったわけだ、この小説。だがしかし、先に言ったように青豆の体の中に宿っているのは「チェンジリング」。あたかも映画「エイリアン」で人間の中に侵入したあの怪物みたいにして。

いいのかこれで終わって? この物語の不全感を、これからでもいい、解消しようとするならば、そこでは「BOOK4」という物語がどうしても必要になるのではないか。ま、しかしそうやって「次回につづく」的展開で引っ張るのも実は意図的だったりして。仮にそうだとすれば、瑕疵を瑕疵として認めずに「あ、それはこれからの話だから」と先送りする村上はやはり商売が上手い、こっちより何枚も上手だなぁと思ったりもするのだが、どうか。

せっかくだから、そのありうべき「1Q84完結編」の展開を予想しておくか。――新世界に希望とともに足を踏み入れた2人の前に、悪の本能を自覚した「ふかえり」がラスボスとして登場。悪魔と人間の混成種として生まれた天吾・青豆の子を奪わんとする。自らの出自に悩む少年の未来は? 悪の軍師として再生した戎野先生の策略とは? ここに世界の存廃をかけたハルマゲドンが始まる。刮目して待て、みたいな(笑)。



1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉前編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/05/28
  • メディア: 文庫




1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉後編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/05/28
  • メディア: 文庫



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3年遅れで「1Q84」を読む(3)  [読書感想文]

『1Q84 BOOK2〈7月-9月〉後編』
1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/27
  • メディア: 文庫



1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/27
  • メディア: 文庫




というわけで、『1Q84 BOOK2〈7月-9月〉』を読み切った。前後編文庫版。例によって今頃になっての読書感想文ということもあり、以下、当然ネタバレはある。



ふーむ、確かにこれで完結、ということだったらお話にならんよね、全然ダメだよね、という読後感。とにかくいろいろあった伏線が全然回収されてない。

あ、「ハルキは純文学作家なんで別にエンターテインメントみたいに伏線回収しなくてもいいから。ゲージュツだから」みたいな反応もアリかとは思うが、ここまで読んできたオレ的感想は「だってこれ、純然たるエンターテインメントっしょ?」というものであるわけで、そういう異議は認めない。


どういうことかというと、この作品でハルキさんは、涼宮ハルヒやら必殺仕事人とか、既存のネタをブリコラージュ的に再構成してゲージュツを生み出そうとしてんではないかと以前書いたんだが、じっさい読み進むにつれてそのような思いはますます強まってきたのだった。

ナゾの教団というのはまぁ明らかにオウムのパロディであるわけだし、その「教祖」さまは何か突如勃起したまま寝込んでしまう奇病(笑)を病んでいるんだが、その間に若い女の子とセクロスしないとまずいことになる、みたいな設定は山田風太郎というか何というかエロ仕立ての猟奇的世界に凭り掛かっているように思えるし、けっきょくのところ大衆の俗情と結託しつつ、しかしそこからどれだけ離陸できるかがカギの実験的小説ではないのか、というのがオレの結論なのだ(暫定的な)。

で、ここまで読んだ限りでは、全部問題先送りである。

例の「リトルピープルとは何か」問題も然り。ここまで読んでもまだ正体がよくわかんないんだが、それにしてもぜんぜんリアリティがない。いや、「妖精めいた存在にリアリティがあるわけない」といってしまえばそれまでだが、リトルピープルというのは、古くから人類の社会に介入してきては人間を操ったりして楽しんでいる邪悪な存在、みたいな定義がとりあえず暫定的に与えられてはいる。

そうすると、コイツらは古くから人間の世界に介入してるというんだから、たとえば日本人であればカッパとか天狗とか、そのあたりの超自然的エンティティとの連続性を示唆しなければ全然説得力がないのである。いや、別にカッパをもちださずとも、「あ、こういうことってある(かもしれない)」と思わせるのが作家の腕である。

それがなんというか、こういう無色透明な小人みたいなものをそれっぽく描いてオワリというのでは、あぁそうか、ハルキさんは全世界で小説を売らないといけないから「邪悪な妖精」みたいな存在を描くにしてもこういう無国籍的な描写をしないといけないのネ、とか邪推されても仕方がないのである。踏み込みが浅いのである。


何を言いたいのか。何でリトルピープル的なものが人間の社会に浸入してくるのか。そりゃあここまでのところであっても牽強付会で何事かを語ることは不可能ではないけれども(たとえば人間にとっての「悪」を寓話的に描いているのだ、みたいな言い方だわナ)、ちょっとムリがありすぎる。


まぁ、何となく謎めいたストーリーテリングで、ともかく読者をアキさせずにここまで引っ張ってきたのは流石であって、でもこの時点で採点したらやっぱり100点満点で30点ぐらいか。では「BOOK 3」ではそのあたりをうまいこと着地させていただけんでしょうか? 大どんでん返しはありや?


しかしハルキさんでも何でもない、フツーの作家が続編の予定とかも何もアナウンスせずにとりあえずこういう尻切れトンボ的な本出したとしたら、「なめとんのかワレ!」と怒鳴られるのが必定と思うのだが、出版当時は、みなさんこれを有り難がって読んでたんですよね。ハーロー効果といいますか何といいますか。「一流作家」ともなりますと、けっこう世の中舐めて渡っていけるのかもしれませんな。と、ひとしきり毒づいたところで次回につづく(たぶん)。



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森達也「オカルト」 [読書感想文]


オカルト  現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ

オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ

  • 作者: 森 達也
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/04/10
  • メディア: 単行本



森達也はむかしから結構好きである。もちろんオウム取材でもいい仕事をしたと思っているし、というか本当は「放送禁止歌」が彼のベストではないかと思ったりもしているのだが、一方でオカルト系のルポルタージュもやっていて、そのあたりも何となく親近感を感じる一因となっているのだろう。

で、今回の新刊は「オカルト」。ついつい買ってしまう。ササーッと読めたんだが、しかし、うーん、今作にかんしてはあんまり感心しなかったなぁ。

基本はオカルト界隈のいろんな人に会いに行く、みたいなコンセプト。例によって清田君とか出てくるんだが、あんまり聞いたことの無い人もでてきて、あぁこういう人がいるんだー、的な読み方がひとまずはできる。

で、通奏低音的には「おっかけると逃げる、ほっとくと近づいてくる」的なオカルトのとらえどころのなさを描いているということもできる。観察者としてはそこに何やら何者かの「意思」みたいなものを感じてしまうよね、みたいな物言いもあってキホン是認したいとは思うんだが、しかし、「で? それからどうなんの?」というと、そっから先は何も言ってない。

何かカタルシスなんにもナシで終わっちゃいましたネ、みたいな感じ。当人もちょっと苦しいナと思ったのだろう、担当編集者をサンチョパンサ風に作中に登場させていじったりしてんだが、天下の森達也がこういうことで逃げを打つのはちょっと見苦しくないか。

たしかに森達也は「キャラ」が立っているので、本作みたいなユルイお話でもどうにかこうにか読ませることはできるんだが、そういうところに安住していただきたくはありませんナ、というのがとりあえずの感想。
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3年遅れで「1Q84」を読む(2) [読書感想文]

新潮文庫版の「1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編」まで読んだ。ひらたくいうと、文庫バージョンの最初の1冊だな。まぁ今さらネタバレもクソもないので正直にストーリーを追っていくわけだが

「青豆と天吾はどうも小学校ン時の同級生だったらしい」とか

「青豆の親はどうもエホバの証人みたいな宗教団体の信者だったらしく、当人としてはかなり当惑していたらしい」とか

「ふかえりのオヤジは大学の先生だったンだが全共闘の指導者みたいな立ち位置からザセツしてヤマギシ会みたいなの作ってリーダーになって、そこから分派した武装左翼集団は自滅したんだが、本体のほうは何かカルトみたいになっちまったらしく、しかしオヤジはそのご消息不明になっており、一方でふかえりは何故かオヤジの大学時代の友人のところに預けられて今日にいたってる」とか

「青豆は基本的に男漁りが好きなヒトである」とか

「青豆は金的蹴りが得意である」とか(しかし護身術として有効とか春樹センセイは書いてるんだが、ハイヒールとか履いてたら金的狙いの前蹴りは事実上腰が極まらず至難ではないかというのがオレの偽らざる感想である。まぁオレの1Q84=ブリコラージュ仮説にたてば、しょせんネタなんだからそんな精密なことを言い出すのはヤボ、ということになるわけだが)


まぁけっこういろいろと伏線を張りまくっているのである。これをどう回収していくのか。ワクワク。

とりあえず、ひとつ思ったことを書いておくか。

「エホバの証人(的宗教)→周りにバカにされまくり→少女時代の青豆(たぶん)かわいそう」みたいな図式は、いかにも日本人のジョーシキをなぞっているわけなんだが、しかしそもそも外国にでれば無宗教→人非人というのがグローバルスタンダードで、「進化論は間違い」とか言ってるオヤジがアメリカあたりじゃ一目置かれてたりするわけであるから、それを考えりゃあまぁエホバの証人なんて可愛いものなンである。

少なくともここまで読んだ限りでは、エホバの証人(的宗教)=刺身のツマっつーか、「常識外れのイタイ人たち」的なアイコンになっているので、小説家というのはこの世のジョーシキを懐疑せしめてナンボという哲学をもっているオレとしては、春樹センセ、きっとその辺の日本人のヒジョーシキをひっくり返すようなどんでん返しを用意してんだろうなーと期待は膨らむばかり(笑)。





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3年遅れで「1Q84」を読む(1) [読書感想文]

ベストセラーは嫌いなので読まない主義なのだが、「1Q84」が文庫本になったのでついフラフラと買ってしまい、3年遅れで読むことにした。さて、カフカでさえ受賞できなかったノーベル文学賞の、その有力候補の実力や如何に(笑)。

なお、あらかじめ言っておくけれども、この作品、断片的なストーリーとかはこれまでにも耳に入ってきてしまっているんで、前もっての予断みたいなものがないとはいわんが、極力無視をしてきたのでそういう前提での読書感想文となっている。



さて。うむ、スラスラ読めるぞ。青豆とかいう若い女が出てくるんだが、なんか自意識過剰な殺し屋という設定らしい。若くてキホン美人で何やら謎めいてるところがあって、みたいな。「え~、いまどき殺し屋? そりゃねーよ、プッ」みたいに一瞬思ったのだが、まぁ通俗小説にはありがちな話だし、まぁいいかと先をいそぐ。ただし、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」がどーたらこーたらみたいな話もあって、「ヤナーチェク、ときましたか。いや、このあたり深いものがありそうですな」とハイカルチャー志向のインテリ諸兄の自尊心をくすぐる趣向もあり、単なる三文小説ではないことをさりげなくアピールするところは流石である。

で、なんか天吾とかいう小説家のタマゴみたいなのが出てきて、1章ごとに青豆と入れ替わって登場するわけである。この2人が主人公らしい。まぁ多くの読者は作中に小説家がでてくると、どうしたってそこに筆者=村上春樹を投影して読むことになるであろうから、日本のメディアから逃げ回って自らの希少価値を高めることにより商品価値を上げてきた、中田英寿的マーケッティング巧者である春樹のことである。「あ、天吾ってのはハルキの分身じゃネ? ちょっと興味あるカモ」という風に読者を誘い込む手練にはなかなかのものがあるといえよう。

それで、この天吾パートに「ふかえり」と称する女子高生が登場するんだが、驚いた、まんま「涼宮ハルヒ」の長門有希なのだった。謎めいた言葉を断片的にポツポツと語る美少女、ってヤツ。やっぱり「わたし、宇宙人」とか言い出すのか? で、なんか「リトル・ピープルは実在する」とか何とか、やっぱり謎めいたことを語っているぞ? 

ここで若干脱線させてもらうが、「リトル・ピープル」っつーのは西洋文化圏では小さな小人=妖精のことだ。妖精というと、われわれは羽か何か生やして奇麗な格好でヒラヒラ飛んでる涼やかな小動物みたいなものを連想しがちだが、最近オレの読んでいるジャック・ヴァレに言わせれば、連中は基本的には人間を掠っていったり気味の悪いイタズラをしたりするおぞましい邪鬼のようなものであって、つまり今風にいえば人間を誘拐するエイリアンみたいなもンだ。UFOファンとしてはこの伏線、目を離せないぞ!! リトル・ピープルの正体や如何に!

 以上、脱線終了。

で、話はもとに戻るンだが、ひょっとしたらハルキさんは「涼宮ハルヒ」を読んでて、確信犯的に長門有希的キャラを出してきてるんじゃねーかと思った。そーいや殺し屋の青豆は、なんか人間の首のうしろに針みたいなのを突き刺して瞬時に死にいたらしめるワザをもってるらしいんだが、これは「必殺仕事人」キャラではないのか。サブカルやお茶の間のテレビのキャラを「引用」しながら、なんつーかブリコラージュ、っつーんですか、そういう文化的素子を組み合わせて物語を紡ぎ出すという実験をしているのではないか、なんちて。

さて、もうちょっと先に行きますと、殺しのお仕事を済ませた青豆が、その興奮を鎮めるべくバーのホテルで中年男を物色してセクロスにさそう、という展開になっておりまして、男のナニは大きいほうがイイとか、青豆がバストの小ささを意外に気にしている、とか、まぁどーでもいい夕刊紙みたいな話がしばし展開される。これはなんなんだろう、やっぱお色気も必要? 「水戸黄門」における入浴シーン的読者サービスってヤツ? なんかこれも伏線になってるのか?

このあたりまで読んできての感想としては、なんつーか、それこそブリコラージュではないんだが、何かその辺に転がってるパーツを無造作につなぎ合わせた「安っぽさ」みたいなものが見え隠れするンだが、ひょっとしてこれは春樹の作戦なんだろーか? こういうキッチュなパーツを組み合わせていったら、意外や意外、絢爛たる大構造物が出現してしまいました、みたいなマジックが見られるのか? 気が向いたらまた感想を書かせていただこうと思うが、さて。(続く。たぶん)


1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/03/28
  • メディア: 文庫



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『「当事者」の時代』を読んだ [読書感想文]


「当事者」の時代 (光文社新書)

「当事者」の時代 (光文社新書)

  • 作者: 佐々木 俊尚
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2012/03/16
  • メディア: 新書



佐々木俊尚氏はいまとても信用にたるジャーナリスト/評論家だと思っているが、今回の新作は面白かった。

オレ的な理解でいうと、基本的にこの人は世の「常識」というか「通念」のウソにツッコミを入れていくタイプの人で、そういう意味では「共同幻想」とかいって世界のアタリマエを懐疑することを教えてくれた吉本隆明とか岸田秀とかの系譜に連なっているのだと思う。ヘソマガリのオレとしてはそういうところが好きなのだ。

で、本作の面白いところは、そういうツッコミの人であるにもかかわらず、「こういうツッコミはダメだよね」という議論をしているところなのである。どういうことか。以下はオレ的理解。

たとえば「裸の王様」という寓話がある。ご存じのように、世間をよく知ってるオトナは、それがウソだとわかっていても「王様は裸だ」などと言えないことがある。いろいろと差し障りがあるから。ところが、そういう世の中にまだ十分に組み込まれてない子供=いわばアウトサイダーは「あれ、王様裸じゃん!」とツッコミを入れてしまう。そういう立場だからこそ既存の体制を震撼させることができる。体制に組み込まれてない「周辺」や「外部」に軸足を置いた体制批判というのはけっこう効くのである。

ところが、佐々木氏は「なんかホントはアウトサイダーでもないクセに、アウトサイダーの味方みたいなツラで体制批判するようなヤカラがここんとこ多くネ? そういうのやめようネ」という議論をしているのである。

彼は「マイノリティー憑依」という言葉を使っているが、たとえば「近代日本に蹂躙されたアイヌ」の立場に自分をアイデンティファイして体制批判をする人がいる。そうすっと倫理的に優位にたてるから無敵である(本書でもそういう文脈で太田竜が紹介されてますな)。しかし、なんかそういうのは勝たんがための戦術みたいなもので、本当は自分の立ち位置から世の中変えていく試みをすべきなのに、そういう行為をスポイルしちまうんじゃないか、というのである。

よくわかる。よくテレビとかで「われわれはこの問題を十分に考えていくべきではないでしょうか」とか言って最後を締めくくる。で、視聴者は「そのとおりだ。十分に考えていくべき問題だ」とか思うんだが、その問題はどっかで誰かさんが「考えてくれるのだろう」と無意識的に考えている。だから自分ではナニもしない。その割に「こういう問題に関心を抱いているオレって進歩的だよなー」とかいって、自尊心だけはみたされてたりする。こういうのダメじゃん、何か神様みたいな視点から文句たれて悦に入ってるだけじゃ何もかわらんでしょ、という議論なのであろう。

なんかこんな辺境ブログで偉そうなことばっかり言ってるオレにとっては、かなり耳が痛かったりもするな(笑)。「アウトサイダーとして体制を批判する」というのは、著者も言ってるように、かつては資本主義国における社会主義みたいなかたちで存在していたんだが、まぁ当時は社会主義=科学みたいな思いこみもあったから「憑依じゃない、普遍的真理だ」という強弁もできたのだろう。でも今じゃムリだよね。

辛くても格好悪くても、ヨロシクナイことがあって何とかしないといけないと思ったら、自分の手で動かせるところから動かしてく。つらいけどそれしかない、というのはたぶん本当なのだ、と溜息つきつつ考えさせてくれる良書であった。


ただひとつ、著者に聞いてみたかったのはこの人の宗教観だよなぁ。

「ある種のアウトサイダーに憑依して自らの正しさを言い募る」ってのは、基本的に宗教によくみられる構造だと思う。特にキリスト教。もちろん歴史的にみれば、現実に成立した教団としては体制補完の役割とかも果たしてきたんで、別にアウトサイダーでも何でもないと言えるかもしれないが、少なくともイエスが語っていた教えというのは「狭き門から入れ」じゃないけれども、「自分たちは少数派である」というのが前提でしょ。

で、「人間は原罪を背負って生まれてくるんでどうしようもないんだけども、神の遣わしたイエス・キリストが、人間の身代わりになって十字架にかけられて死んでいかれましたので人間は救われました。アーメン」というのがキリスト教の根底にあるので、つまりこれは、信者はつまりイエスに憑依してこの世の中を見ているということになるンではないか。

大きくいって、世俗の世界を超え出た宗教的世界から世界を批判する、という機能が宗教にはあって、そのような営みを正当化できる根拠というのは当然自分の「ウチ」にではなくて「ソト」にある。こんなものは幻想なんだから、もうこれからの時代そんなものに期待できないのサ、と佐々木氏はお考えなのだろうか? うーん、個人的には何かちょっとそこは留保つけておきたいな、と思うのだが。うまくいえないけど。古いのか。

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『中国化する日本』を読んでみました [読書感想文]

けっこう話題になっているらしい與那覇潤『中国化する日本』を今更ながら読んでみた。

著者は30代の日本近代史の先生。確かに面白かったぞ。何かちょっとおちゃらけた口調で結構マジな話をするという点では、かのパオロ・マッツァリーノを彷彿とさせて愉快であった。ではオレ流に内容を要約してみよう。なお、正確ではないかもしれないのであらかじめそこんとこよろしく。



★最近の世の中は「グローバリズム」が大はやりなんだが、簡単にいってしまうとコイツは「もう世界はひとつなんだからヒト、モノ、カネの流れを自由にしましょう、経済の問題は市場にまかせましょう、各国の政府はイロイロ干渉しないで黙ってみててくださいネ」という一大ムーブメントなのである

★で、日本人はこれまでそういう「開かれた社会」みたいなのは苦手で、寄らば大樹の陰というわけで「お上」とか「会社」にすがって生きてきたんだが、もう政府も会社も全然役に立たなくなっちまったし、どうやらこの「グローバリズム」に徒手空拳で向かっていかねばならねーが、そういう流儀には慣れてねーし、お先真っ暗でアル

★一方、中国が低賃金や人口のスケールメリット等々のメリットを生かしてGNPで日本を超してしまったのは周知の通り。日本人はなんかガックリ来てるんだが、実はこういうグローバリズムの時代というのは、中国の国柄にぴったりマッチしてるという事実もあるのだった。とゆーか、そもそも経済的自由主義+皇帝専制みたいなシステムを世界ではじめて作り出したのは、なんと10世紀ぐらいの宋だった! となると昨今のグローバリズムの本家本元は中国なのであるッ!! 毛沢東の共産中国による大躍進みたいなのは元来中国人のエートスにそぐわない試みであって、一時の気の迷いであった(笑)

★とゆーわけで、つまりわが日本はグローバリズムに適応していかないとイカンのだが、これすなわち「中国化」といっても過言ではない。日本は中国化していかねば生き残れぬ宿命なのでア~ル。覚悟してネ(笑)



重ねていっておくと、以上はオレ的要約なのでかなり怪しいが、ともかく「日本の中国化? 何だッて!」という読者層の過剰反応をピンポイントで狙った表題はショーバイ的にとても上手である。さすが文芸春秋。

で、非常にスッキリとこの世界がわかったような気になってソーカイなんだが、ただ、よくよく考えるとイロイロと疑問もでてくるのだった。

たとえば、「ある中間集団でまとまって相互扶助の圏域を作る」みたいな従来の日本のスタイルは、著者が「江戸的」と称していて、もはや滅びるしかないもののように語っているんだが、しかし程度の差こそあれ、こういうコミュニタリアン的な発想ッつーのは全世界に共通してあるものじゃないのか? 別にマルバツの話じゃないんだから、総じて旗色悪いような気はするがコミュニタリアニズムの有効性だってまだまだあるんではないか?そーゆーのもうダメだから、で一蹴しちゃっていいのかな?


それから、著者のアタマの中では、市場に対する政府の介入の実例としてはたとえばケインズ的な公共投資があるようで、「もうこういうのは効果ないから。もう市場に任せるしかないから」みたいなニュアンスの記述がされているけれども、本当に現代においてケインズは基本ネガティブに捉えられているのだろうか? 著者は再三「最新の研究によると」みたいな大仰な物言いで読者を驚かすんだが、はたして「最新の研究で」ケインジアンやコミュニタリアンはもうダメって引導を渡されてたんだろうか? うーむ、流石にそれはないような気がするが。

もうひとつ。何やかやいって「民主主義的な価値」というのは人類の獲得した相当普遍的なものだと思う。そーすっと「資本主義はハッテンしてても、そういう政治的成熟がない国はやっぱりまだまだ危ういんじゃないの? そういう繁栄は長続きしますかネ? 政治的自由のない繁栄はけっきょく片翼飛行であって、さいごはポシャルんじゃね?」という感じもあって、だからこそ「中国は実は進んでいる、だって? そんなわきゃネーだろ」とわれわれは思ってしまうのであるが、著者は「いや、歴史的に自由主義の先頭を切ったのは中国だから、進んでいるんです」といっているので、民主的な価値などというものは進歩のメルクマールではありえない、ということなのだろう(ま、「歴史の進歩」みたいな考え方が今時古いといわれればそうだろうけど)。

さらに著者はチリのピノチェト政権の例をひいて、「いや、専制+経済的自由主義でもけっこううまくいっちゃうンすよね」的なことを言ってたりする。そうでしょうか?

いや百歩譲って、「たとえ中国の体制が専制+自由経済だろうとチベット人民を虐殺しようと、世界経済の牽引車になってくれりゃあオレたち文句いうことないじゃん」的なリアリズムの立場がアリだとしてもだね、仮に真っ当な漢民族(笑)の中から「もう貧富の差は酷いし、思ったことも言えねーし、こんな社会は許せん、クソー」といって暴動でもおっぱじめる連中でも出てきたら、もう世界経済の牽引車も糞もなくなっちまうような気がするのだがどうでしょう? いや、トリクル・ダウン効果が出てきて今ビンボーな中国人にもカネが回ってくるからサ、言論の自由なんてものがなくても満足しちまって暴動なんか起こさねーんだよ、とでもおっしゃいますか?(いや、確かに中国人ならそれでけっこう満足しちまうかもなーと思うオレもいるけどもw)

まぁそういった意味でいうと、「最新の研究」を敷衍していくとホントにここまで言えるのかどーか、研究者の方のご意見もうかがいたいのだが、こういうポップな感じの本にコメントするとコケンにかかわる、みたいな事情もあるんだろうか、その辺あんまり見かけた記憶がないのはチト残念ではある。

と、いろいろ疑問を呈したりしたんだが、まぁしかし日本人もとりあえずこの「グローバリズム」とやらに適応していかんとジリ貧になってしまうということは確かなのだし、問題提起としては面白い。ご当人が「定説です」と強調するにもかかわらず、学術的にはちょっと怪しげな感じがするとこがスリリングでまたタマランから、それこそマッツァリーノの線を突き進んで、やがてはテレビのコメンテーターでもやると人気が出るのではないか、と余計な感想。






中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

  • 作者: 與那覇 潤
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/11/19
  • メディア: 単行本



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