SSブログ

総選挙前のしっちゃかめっちゃかに思う [NEWS]

何かよくわからん政党が乱立して合従連衡をはじめたのだが、さて、われわれはどういう基準で政党を選べばいいのだろうかと思うきょうこのごろ。自分の考えを整理するための、以下、チラ裏。

確かにむかしは単純で良かった。「資本主義体制でよろしい」か、「資本主義には問題が多いので何とかしろ」なのか、そういう選択の基準がハッキリしていたのだった。

冷戦終結後はそういうイデオロギー対立みたいなものは後景に退いたわけだが、なお右と左の対立は後を引いているところもないではない、と思う。

わかりやすいのが経済政策であって、乱暴に言ってしまえば「政府は民間の経済活動とかにあんまり口だしするな。税金も減らして、とにかく市場経済キホンにやってけばうまくいく」というのが右派。いわゆる「小さな政府」論である。対して「政府がいろいろ口だししないと、貧富の格差なんかも広がってしまうので、税金もそこそことって、再分配を積極的にすすめるべきだ」というのが左派。相対的にいえば「大きな政府」論ということになろう。

もっとも、ここでは経済的自由主義=右派という話をしているが、少なくとも日本で一般的に右派といわれる人たちは「君が代を歌いなさい!」とかいって国民にいろいろ命令するのが好きな傾向があるので、「小さな政府」といっても「何でもかんでも放任」というわけではない。そこんとこは注意が必要である。

閑話休題。日本では、自民党VS民主党が拮抗して政権交代をしやすくするのがいいのではないか、とかいって衆院の小選挙区制とかができたワケで、ふつうに考えると、どっちかが「小さな政府」主義で、もう片方が「大きな政府」主義ならわかりやすくて良かったのである。

ところが現実はそうなっていない。

旧来の自民党は、まぁ右派といえば右派だったのだが、キホン経済界の代弁者でありながら、ほっとけば市場経済の中でやっていけない人たち――たとえば農家なんかに対しては個別に「再分配」を施したり「保護」をしてやったり、つまりリソースの再分配ということでいえば左派的なこともけっこうやっていた(相対的に声の大きい=票を期待できそうな農業団体みたいなとこにだけ、そういう特別な便宜をはかっていた、ともいえるが)。つまり自民党というのは思想的にいえば一枚岩というのではなくて、けっこう右派から左派まで幅広い主張をとりこんだヌエのような存在だったのである。だからどっちでもアリなのである。

一方の民主党であるが、これも決して「左派」とは言えない。もちろん旧社会党から流れてきた人も多いので、その点は左派系もけっこういるんだろうが、一方で野田総理みたいに「松下政経塾」あたりから来たのは、基本的に「小さな政府でよろしい」という人たちである。けっきょくこっちも寄り合い所帯なので、思想的には一枚岩ではない。

というわけで、もともと自民VS民主の二大政党制とかいっても、リクツというか理念のレベルではぜんぜん区別がハッキリしていなかったのである。まずそういう不幸があった。

今回の総選挙についてみても、TPP=自由貿易については、党内に異論もあるけれども民主の野田は「すすめる」といっているので「右派」になるだろうし、「慎重にしろ」という自民党は「左派」になってしまう。市場=経済合理性を重視すると「原発は必要」という話らしいので、すると原発に相対的に慎重な民主は「左派」、原発に甘い自民は「右派」。なんかスッキリしないのである。まぁ消費増税についてもひと言いっておくと、基本的に増税=再分配は「左派のロジック」になるわけだが、さすがにほっとくと国家財政マズイぞというのは右も左もない、ともいえる。

というわけで、比較的わかりやすい「大きな政府」VS「小さな政府」みたいな軸でさえ、どっちがどっちなのかよくわかんない。強引に単純な図式を作ってみると「TPPも原発もOK。ただし消費増税はダメ」、あるいは「TPPも原発もダメ。しかし消費増税はOK」というのが一番理路整然としているんだが、そういう政党はなかったのではないか?

オレは当然、「TPPも原発もダメ。しかし消費増税はOK」という立場なのだが。さて、そういうオレはどうすればいいのか?

P.S.

とはいいながら細かくみていくと、ここまでの話にはイロイロツッコミどころもあるのは自覚している(笑)。市場主義を貫徹させよ、というのがここでいう「右派」なのだが、一般的にはそういう立場からは「原発→安い→OK」ということになって、原発は肯定される。しかし、本当に原発が「安い」のかというと、何万年も放射性廃棄物を安全に管理していくとして、そのコストまでもコミで本当に「安い」のか、素人のオレにはどうにもギモンである。確か一橋大の斎藤誠さんは、市場ベースで実は原発は割にあわない、みたいな議論をされていた。

あと、別に「大きな政府」か「小さな政府」かで軸を決めねばならない、というキマリがあるわけはなくて、たとえばこのたび脱原発を旗印に発足するという「日本未来の党」などは、「経済性だけで原発OKというのはよろしくない、地球倫理の立場からして原発は認めてはならないのだ」みたいなことを言っているらしい。こういう主張にもオレは何となく打たれるものがあって、つまり仮にオレたちの世代というか、100年ぐらいのレンジでみれば原発は「安上がり」になるのかもしれんが、何百年先の子孫に「核のゴミよろしく♪」とかいって、何の承諾もなしに(笑)厄介モノを押しつけて我が世を謳歌、というのは倫理的にみてどうよ、という主張もけっこう説得力があるような気がするのである。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。