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この天声人語は許す [天声人語]

ちと古い話ではあるが、3月6日の「天声人語」がえらく評判が悪いらしい。こんなのだ。

▼行きつくところと言うべきか、兵庫県小野市が議会に条例案を提出した。(生活保護の)受給者がパチンコなどで浪費しているのを見つけた市民に通報を義務づけるのだという。耳を疑ったがエープリルフールにはまだ間がある▼筆者と違う意見もあろう。だが、そもそも誰が受給者なのか一般市民には分からない。効果は疑わしいうえ、小野市だけでなく全国で色眼鏡が濃くなりかねない▼生活保護の切り下げについて、受給する女性が声欄に寄せていた。「受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。貧しい気持ちを持ったまま、暗く生きていかねばならないのでしょうか」。身に染む声ほど小さく震える。
 ※なお、文中の丸カッコは引用者による


日ごろ天声人語を批判しているオレだが、しかし、今回に限っては「いやこれは悪くない」と敢えて弁護してやろう。

いや、オレも生活保護うけてるのにパチンコに行くというのは、ちと問題ありだと思う。いやむしろ、そういうことをする人間は忌憚なくいえば「クズ」に近い。でもそういう人を責めてはいけない、とオレは思う。

親鸞ではないが、人間なんていうのはどうしたって聖人君子のようには生きていけない存在なのだ。生活保護うけてカツカツの生活をしていても、「そうだパチンコで一発フィーバー当てりゃあ今晩は寿司のひとつも食えるんじゃねーか、よーし勝負だ!」とかいって、ついついパチンコ屋にでかけてしまう。で、もちろんパチンコですっからかんになって家に帰ってきて、「あぁオレってバカだなあ」と自己嫌悪に陥る。人間というのはそもそもそういう弱いところをもつ存在なのだ。

そういう「わかっちゃいるけどやめられない」(by植木等)人間を、水に落ちた犬のように叩いても仕方あるまい。オレはそう思うのである。

さて、天声人語というのは、ふだん、こういう人間の愚かさを徹底的に糾弾するスタンスをとっている。たとえばの話だが、「原発ナシで生きていけりゃ一番いいけど原発受け入れりゃあ地元にカネも落ちるしなあ」みたいなこといってるド田舎の住民にたいして、「いやアンタのそういう発想は間違ってる(キッパリ)」とかいって説教をする立場である。

だからこそオレは、「いやそういう風に高みにたって説教ばっかりしたって、世の中何にもかわんねーよ、オタクらは安全地帯で偉そうなこと言ってりゃいいんだろうけどヨ」というスタンスで天声人語批判をしているのだった。

だが今回の天声人語は、あきらかにそういう人間の弱いところ、クズ的生き方をやむを得ないものとして認めている。オレとしては、「お、オマエラこれまで大衆を啓蒙してやる、的なゴーマンなところが鼻持ちならなかったが、そうかそうか、クズ的生き方を容認してくれたのか、よしよし」という話であって、つまり天声人語は日頃の貴族主義をこの回に限っては捨て去ったのである。たいへん結構ではないか。

というわけで、世間の大勢には反するだろうが、オレ的には「こういう記事ならたいへんよろしいので今後もこの線で頑張ってほしい」とエールを送っておく。





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