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村上春樹がキライなのは何故なのか考えてみた(笑) [あとらんだむ]

また村上春樹がさんざっぱらティーザー広告で引っ張ったあげくに小説を出したというのだが、それも午前0時から販売しますよなどというバカな本屋まで出現したものだからバカが夜中に行列つくるありさまで、もうほとんどWindosXPとかiPhone発売の世界である。

・・・などと毒づいているのはオレがこの男を嫌っているからで、たとえば外国の催しとかに呼ばれるとホイホイ出かけていって講演なぞするのだが、国内では公の場に全然出てくることもなく、だからこんど公開インタビューを日本でやるらしいのだが、それがあんまり珍しいことだからニュースになってしまうほどである。

小説を買って読んでくれ、そこに全部書いてある、それ以上のことは言わんから、というつもりなのだろうが、では何で外国だと聴衆の前で講演したりするのか全然説明がつかんし、ハワイあたりの大学で講義なんかもしてるというではないか。オレとしてはこれは「バカな日本人どもは黙って本買ってりゃいいんだよッ!」というメッセージであり、でも何故か毛唐には好かれたいという歪んだ植民地根性のあらわれではないのかと疑っている。なんだ偉そうなこといってもその程度かヨ、というワケでこの男は嫌いである。

というか、よくよく考えると、オレも昔「ノルウェイの森」か何か買って読んだことはあって、つまり基本的にこの男の本は読んではいないのだけれども、たまさかそういう機会にこの男の小説世界に嫌悪をもよおしたという事実がないわけではないのである。(追記:あ、そうだ、そういやこないだ読んだ『1Q84』もこの男の本であったな。これはオレ流ユーフォロア的視点からすると失敗作である、というのは前に書いたw)

で、この男の小説じたい好きになれないのはいったい何故なのだろうと思うのだが、たとえばたまに読む西村賢太の哀れを誘う世界が実に心に染みいってきて、「あぁこれは良いなぁ」とシミジミしてしまうオレの感性からすると、「やれやれ」とかいって女の子とこじゃれた会話を楽しんだ末に××しちゃったり○○しちゃったり、スパゲティを茹でながらビールを呑んだりバーボンか何かをあおったりとゆー、一見苦悩なんかしちゃってんだけど結局ソイツは勝者の余裕じゃネ?みたいな彼の世界に根源的な憎悪を抱いてきたからではないかと思い至るのだった。

そういえば、と思い出すわけだが、遠い昔、オレにも田舎から東京に出てきて木賃アパートで生活していた青春時代というものがあった。根がクライし人見知りなので、友人なんかできないのだった。ましてや彼女なんて。14型か何かのブラウン管の赤い小型テレビと、食費をケチって生協の本屋で割引で買ってくる本だけが寂しいオレの相手をしてくれるのだった。で、たまに早稲田あたりの名画座に行って夢中で映画を観たりしたンだが、あれなんかも孤独を癒してくれたのだなぁ今おもうと。ソフィー・マルソー。クリスティ・マクニコル。心の恋人であった。

もひとつ、たまに人と話をすることもないではないのだが、それは何かというと、隣室に住んでいる土方のオッサンが「ちょっと呑まない学生さん?」とかいって来るので、まぁ断るのも悪いので行って酒盛りをするのだった。

ま、それはそれでいいんだが、このオッサンはどうも分裂病を患っているようであった。「実はオレ、むかし佐藤栄作の娘とイイ仲だったんだけどなあ、仲を裂かれて今じゃこんなありさまよ」。酔うとそんな妄想を繰り返し繰り返しオレに語って聞かせるのだった。酒は焼酎か安い日本酒をそそいだコップ酒。つまみはサバ缶。みたいな。なんだよあのオッサン!とか内心毒づきながら、実はそれが「癒し」になっていたんじゃねーかと思われるフシもあるのが哀しい(笑)。

いやいや、つい誰もききたくないツマラン昔話をしてしまったが、つまりはそういうことである。気取るんじゃねーよ村上春樹。才能があるのかなんか知らんが、偉そうに格好つけて肩で風切ってるヤカラはどうにも許せねえ、ただそう言いたかっただけなのである。嫉妬というやつなのだろうな。わかってはいるさ。



【追記】

なおその後、なんとなくウィキペディアで「村上春樹」の項を眺めていたら、小谷野敦の弁として次のようなことが書いてあった。孫引きさせていただく。

巷間あたかも春樹作品の主題であるかのように言われている『喪失』だの『孤独』だの、そんなことはどうでもいいのだ。(…)美人ばかり、あるいは主人公の好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と『寝て』くれて、かつ二十代の間に『何人かの女の子と寝た』なぞと言うやつに、どうして感情移入できるか。
  *原典は「『ノルウェイの森』を徹底批判する−極私的村上春樹論」『反=文藝評論』(新曜社)とある

若いころもてなかったことで有名(?)な小谷野敦ならではの主張(笑)であるが、そう、オレの言いたかったのはたぶんこういうことなのである。



【追記の追記】

なお、その後、ドリーさんと名乗る方が『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について書かれたアマゾン・レビュー「孤独なサラリーマンのイカ臭い妄想小説」が大評判になっていると知り、読んでみたのだったが、実に共感できる内容であった。(2013/05/06記)


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