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経済学的思考と「いじめ」 [NEWS]

むかしむかし、高校生だったときぐらいから経済学というものには「偏見」があった。

端的にいうと、「人はパンのみにて生きるにあらず」という、若者特有の気負いまじりの、何かそういう思い入れがあったのだろう、「経済学だと? そんなもので人間はわかんねーよ」とかうそぶいて、で、大学も文学部に進んでしまったのだった。

だがしかし、年をくって、老後の年金はどうもあんまりアテにならないかもしれないとかいって脅かされるような身分になってみると、やっぱり人間はカネで動くよなー、これデフォルトだよなーと痛切に思うようになった。

宗旨替えしたわけではないのだが、そもそも人間は基本的に「自分の利益」のために動くものである。まれに「いや、これはオレにとっては損なのかもしれないが、敢えてそっちの道をいく」といって行動する人もいるわけだが、そういうのは社会全体からみるとごくごく少数派。例外である。「われわれの社会」を考えるときには、とうぜん、こういう「人間は自分がトクなように動く」という大前提に従って物事を進めていかねばならないのである。

という風に考えてみると、経世済民の学=経済学とはよくいったもので、「世の中」の制度設計とかそういうものは、すべからく経済学的思考にのっとって進めねばならないのだろうな、と、なんか棺桶に片足つっこみはじめたジジイになって悟ったのである(笑)。

で、改めてそういう立ち位置にたってみると、いろいろと見えてくるものもある。

たとえば、ワタミの社長が「クラスでいじめが発覚したら担任教師の給料を下げるべきだ」とか言ってるらしい。なるほど、そういう話になったら教師だって奮い立って「ああそうか、じゃあ絶対いじめはさせないぞ」と考えるはずだ、という議論らしいンだが、待てよ、教師だって人間なので、ますは自分の「トク」というものを考えてしまうのではないか、そもそも「いじめ」というものが人間の社会にあってはどうやったって自然発生してしまうものだとすれば、いじめ発覚=減給という仕組みを作ったとき、教師は自らが知るにいたった「いじめ」を隠蔽することになるんではないか。

とまぁ、この小ずるい人間というヤツが寄り集まって、それでも何とかうまくやっていくためには経済学の知見は実に有益であるのだろうが、しかし今や数式必須の学問となっているという経済学である、きちんと学び直しをするにはいささか遅すぎるかなぁと苦笑する、夏の日の昼下がり。


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